ブログランキング
Jose

2006年08月11日

僕が客室乗務員だったときの話 ■第10章全文■母国の破綻を喜ぶCA達


第10章全文
母国の破綻を喜ぶCA達

前述のアジア経済危機の頃から、日本人と他のアジア人の考え方の大きな違いが見え始めた。

政治・国際情勢に関する会話は、この航空会社のCA間では一般的だ。 東南アジア人が大半を占めるこの航空会社では、彼等の政治への関心は非常に高い。 これはCAに限らず、一般市民もそうだ。

旧植民地だった事、頻繁な未遂も含むクーデター、日常的な政治犯・思想犯の逮捕、不安定経済など、政治が自生活に直接影響する。 よって政治に関心を持たざるを得ないのだ。

日本や欧米などの先進国では一般的に政治への関心は低い。 クーデターはなく、経済も安定している。 政治家が代わろうとも、株価が変動しようとも、国が崩壊することはない。 自宅が没収されたりすることもない。 言論の自由も保障されているので、何を言っても逮捕されない。 政治家が悪いなら、次の選挙で落とせば良いだけだ。

しかしながら、東南アジア人の政治への高い関心が必ずしもプラスの原因だとは限らない。 そもそも関心の原因は戦争や不安定経済などの不幸なことばかり。 そういったことが原因で家族が死に、自宅は没収される。 下手なことを言えば逮捕されたり、暴力の的になる。 不安定な政治情勢をどうやったら自己のサバイバルに役立てるかが問題なのだ。 自国がどうなる、というより自分の生活だ。

華僑と現地人の対立

インドネシア・・・1
アジア金融危機では、一時東南アジア諸国がパニック状態に陥り、マレーシアでは自国通貨の持ち出しが禁止された。 韓国では国民から貴金属を寄付してもらうようなこともしたという。

イスラム国家インドネシアでは暴動が起きて、大統領が追放された。 一方、暴動に便乗して、イスラム系インドネシア人は多くの華僑を襲った。 特に首都ジャカルタでは凄惨だった。 華僑は男女問わず暴力の被害に遭い、男は殺され、女性は強姦された。

イスラム系インドネシア人は、憎しみに近い警戒感を華僑に対して持っている。 インドネシアでは「中国語」表記は禁止だ。 まず、インドネシアに中国語の新聞や書物を持ち込むことができない。 CAである俺達も、ジャカルタ到着前には機内にある中国語の新聞や雑誌を全て処分していた。 処分しないと、航空会社は多額の罰金を喰らうことになるからだ。

ジャカルタ市内には小規模な中華街がある。 しかし初めて訪れる者は、近くにいても見つけることすらできないだろう。 漢字の表記が全くないのだ! メニューも全てアルファベット表記だ。

インドネシア・・・2
インドネシアで唯一使える漢字。 それは「日本人が使う漢字」だ。 日本料理店や日本人が来る店には堂々と漢字で表記されている。 日本語の本なら「漢字」を使ってもよい。

華僑が中国語の本をインドネシアに「密輸」する時は、「これは日本語の本ですよ」と偽るらしい。 だから税関には「日本人職員」がいて、怪しい場合は彼らが直接検査する、という話を聞いたことがある。

元々、インドネシアは親日国家だ。 ジャカルタの中心街に「独立記念塔」があるが、日付は西暦ではなく、「皇紀」で記載されている。 隣国反日華僑国家シンガポールとは極めて対照的だ。

インドネシアには「シュリーヴィジャヤ王国」に代表されるような高い文明があったが、オランダの近代兵器の下に植民地支配を受ける。 インドネシアはアフリカと同じような奴隷供給所になり、多くのインドネシア人が餓死した。

インドネシア奴隷は遠くはヨーロッパでも売買されており、フランスの奴隷市場では美しいインドネシア女性が人気があったという記録もある。

大東亜戦争(太平洋戦争)が勃発し、オランダは「先手」を打って日本に宣戦布告。 アジア国家日本なら簡単に潰せる、と思っていた。

一方、アジアからヨーロッパ人を追い出したかった日本には、願ったり適ったりだったかもしれない。 欧米諸国で実際に日本と交戦した国で、先んじて日本に宣戦布告した唯一の国だ。

翌年初旬、日本軍はオランダ領インドネシアの美しい海岸に上陸。 わずか2週間足らずでオランダは降伏した。 「北の小柄な東洋人が自分達を解放してくれる」という伝説がオランダ領インドネシアにはあり、彼等にとって日本軍は救世主だった。

インドネシア・・・3
親中国派である華僑は、以前から植民国オランダと結託し利益を上げていた。 この点ではシンガポールやマレーシアの華僑と同じだ。 また、蒋介石を信奉していたのもあり華僑は日本軍に抵抗した。 よって日本軍も彼らには厳しく当たった。

しかし日本軍はインドネシア人とは「同じ人間」と接し、非常に仲が良かった。 奴隷制度を敷いて、多くのインドネシア人を餓死させたオランダとは対照的だ。 日本軍はインドネシアに国会と地方議会を作り、現在のインドネシア国軍を訓練、完成させた。

戦後、オランダが戻ってきて、再び植民地支配を始めるが、インドネシア人はもうオランダの言う事は聞かない。 インドネシア兵と日本兵約2000人は、共に独立のために戦った。 インドネシア人と仲の良かった多くの日本兵は、現地女性と結婚したり仕事に就くなどし、インドネシアに生活基盤を作っていたのだ。

独立後、植民国オランダと利益を挙げていた華僑は肩身の狭い思いをすることになる。 独立インドネシア政府は前述のような徹底した反華政策を採った。
*************************

マレーシア vs シンガポール
余談だが、同様のイスラム国家マレーシアも華僑との確執がある。 独立当時、シンガポールはマレーシアの一部。 つまりマレーシアの「華僑州」だった。 しかし「華僑州」シンガポールは、自治を求めた。

別の国であるかのような行動を取りながらも、「母国」マレーシアの保護を求める。 こんな態度にマレーシア政府は嫌気をさし、シンガポールに言葉通り「離婚」を通告。 追放されたシンガポールは「独立」した。

マレーシアは華僑経済力に利用価値があると判断したので、経済活動の自由を認めている。 マレーシア各地には漢字表記の店も普通にあるし、中華街もある。 しかし確執は続く。 

“Bumiputra政策”、つまり「原住民優遇政策」が始まる。 奨学金やその他諸々の経済面において華僑は保護されず、原住民であるマレー人が優遇された。 

隣国の華僑国家シンガポールとも確執がある。 貯水池の少ないシンガポールは、大量の水をマレーシアに頼っている。 マレーシアは事あるごとに、「水を止めるぞ!」と脅迫する。

2002年、小国シンガポールは領土拡張のための埋立てを計画していたが、こともあろうかマレーシアの方に向かって埋立てを始めた。

こうなればマレーシア側の領海は狭まる。 マレーシアは烈火のごとく怒りを表した。 多くが「水を止めるぞ!」や「マレーシアとシンガポールの間の橋を叩き壊すぞ!」、そして政治家の中には「血で払って貰うぞ!」「戦争だ!」と声を荒げる者もいた。

2005年4月。 3年間の激論の結果、シンガポールが折れ、工事は中止。 シンガポールはマレーシア漁民に賠償金を払うこととなった。

これは単に2国間の争いではない。 原住民vs華僑。 移民文化を持つ華僑は東南アジアのみならず、世界中の至る所でサバイバルを強いられている。 それは多くの国々が「華僑によって土地を盗まれた」と感じているからだ。

後述にも出てくるが、こういった事が華僑や中国人の気質を作り、またその気質が外部の者との確執を作る。 こういった悪循環が産まれる。
*************************

インドネシア・・・4
俺は暴動の最中、インドネシアのジャカルタに休暇で行った。 行く前に当時付き合っていたインドネシア人CAから、「今、絶対インドネシアには行かない方が良い。 あなたも華僑と間違われて殺されるかもしれないよ!」と止められた。 ジャカルタ行きの飛行機はほとんどカラッポで、飛行機の中ではゆっくりくつろげた。

到着して、入国検査を通るとき、入国管理官からしつこく入国の目的を聞かれた。 「なんでこんな時期にインドネシアに来たんだ? 今、インドネシアは内戦中なんだぞ!」と。

俺は「インドネシアは世界一美しい国だから来ました。 僕はインドネシアが一番好きです!」といい加減な答えをすると、満足そうに入国管理官は通してくれた。

さて、ジャカルタ市内に行くと街には殆ど人がおらず、代わりに戦車や兵隊、そして露店商人を至る所で見掛けた。 捕まって何かインネンを吹っかけられるのではないか、少し不安だった。

しかし「日本人」と答えれば、せいぜい商売人が群がってくる程度だ。 軍人から質問を受けた時は、パスポートを見せれば大丈夫だった。

多くの商店は閉まっていたが、なぜか飲み屋だけはどこも開いていた。 暇だったので、「中華街」近くのホステスのいる飲み屋に入り、そこの近辺で2・3日過ごし、電車でジャワ島を横断、その後船でバリ島に渡った。

バリ島は全く別の国のようだった。 バリ島はインドネシアでも珍しい「ヒンドゥー教」の島だ。 ある意味、別の国とも言えるかもしれない。 とても平和で活気があり、経済危機をむしろ喜んでいるように見えた。

暴動も何もなく、みんな自分の金儲けに必死になっていた。 自国の通貨が暴落したのを喜んでいて、「これで『安くなったバリ』に外国人がタクサンやってくるぞ!」と口々に言っていた。

働き者なのに…1

日本人の俺には到底理解できないことだ。 自国の通貨が暴落する、というのは悲しいことだ。 アジア経済危機で、東南アジアや韓国ほどではないが、日本円も価値が多少落ちた。 1ドル=110円位から1ドル=130円位まで落ちたと思う。 20円ほど落ちただけでも日本のことが心配になった。 多くの日本人CAも同じ様に感じていたようだ。

しかし東南アジアCAは違った。 バリの人達同様、自国の経済が破綻しているのを喜んでいたのだ。 タイ人なら「タイは今安いから、行くなら今のうちよ。 私も家の代金が一気に払えるかも」などと言う。 マレーシアCAも、インドネシアCAも同じ様なことを言っていた。 

この航空会社のCAは香港ドルで給料を貰っていて、香港ドルはアメリカドルとの連動になっている。 よって今回の経済危機では悪影響を受けなかった。 むしろ米ドル同様に強い「香港ドル」を持って帰って、破綻した自国で豊かに暮らせるのだ。

俺は「こいつらは外国の悪口はよく言うが、実際は自国のことも何とも思っていないんだな。 公共心がないなぁ」と思っていた。 しかし、東南アジアCAはそんな事には構っていられない。 彼等は香港に「出稼ぎ」に来ているのであり、故郷で待っている大家族を一人で養わなければならない。 香港で稼ぐカネの価値が上がれば、自国の経済がどうなろうと、そんな事は大した問題ではないのだ。

働き者なのに…2

しかし、この出来事から「なぜ発展途上国が中々貧困から抜け出せないでいるのか」という俺がメキシコに居た時からの長年の謎が少しずつ解けてきたと思う。

メキシコ、カンボジア、タイ、フィリピン、韓国… 主にこれらの国々に数年から数ヶ月間暮らしたが、どの国の人達でも、朝から晩までよく働く。

マニラでは朝4・5時から人がバスでの通勤を始め、カンボジアの首都プノンペンでは朝6時には街がオートバイで溢れかえっている。 メキシコや韓国、タイ、どこでもそうだ。 日本人より早起きかもしれない。 物凄く元気な国々だ。

しかし、国はあまり豊かにならない。 俺は不思議で仕方がなかった。 学者やジャーナリストなどが多くの諸説を持ち出し、「本屋が少ないから」とか「輸出工業経済に切り替えてないから」「自由主義経済でないから」「民主主義でないから」などと唱える。

それぞれ正しいとも思えるが、俺はもっと根本的な所にある、と思い始めた。

母国への愛着が国を豊かにする…1

一方日本では、「右翼」「左翼」の政治信条に関わらず、日本人には自然と故郷への愛着があるのだろう。 日本人は「できるだけ国産の農産物を食べたい」と考えるし、正月には神社に着物を着て参拝し、夏は浴衣を着て花火を見に行く。

日本人のCAは、「いつかは日本に帰ってきて、日本でキャリアを積む」と考えるので、日本の経済が破綻しては困る。 CAに限らず、海外に長期留学した者も必ず日本に帰ってくる。

日本人と東南アジア人、両方とも朝から晩までよく働くが、東南アジア人のカネに対する執着心は日本人を遥かに凌駕する。 カネに対する執着心が高いのに、なぜ豊かにならないのか?

東南アジアでは外国人と見るや値段を吊り上げることが多い。 ボッタクリをする奴は日本にもいるだろうが、そのような商売人は自然と排除される。 「汚い手を使って儲けようなんて、あの恥知らずめ!」と。

母国への愛着が国を豊かにする…2

また日本人はできるだけゴミを落とさないでおこうと考え、ゴミが散らかっているのを見ると、「あーあ、ゴミは持って帰れよ… これだから最近の奴らは…」とボヤイたりする。 これは右派・左派等の政治思想に関わらず日本人として恥ずかしい事はしたくない、という愛郷心の表れだ。

もちろん発展途上国でも、自分の利益ではなく、本気で国を憂う者はいる。 しかし割合は圧倒的に少数だ。 大半は自分のカネ儲けだけに走る。 ゴミがドコソコに散らかしてあっても、ボヤくこともない。

これは発展途上国での共通の感覚だ。 そして彼らは留学しても帰国しない者の方が多い。 せっかく高い教育を受け、高い技術を身に付けても、母国に帰らずに現地国に残ってしまえば、現地国のためにはなっても、あまり母国の為にはならない。 こういった人達を長年受け入れ続けて世界最強の国になったのがアメリカだ。

長期的に見ての国の豊かさ、というのは国民がどれだけ母国に愛着があるかどうか、と俺は確信し始めた。 この散らかったゴミへの「ボヤキ」がなくなった時、日本の繁栄は終わるだろう。

逆に言えば、「ボヤキ」続け、留学生が帰国するような国なら、日本はまだ大丈夫だと思う。 こういった意味での日本人の自国に対する愛着、というのは、世界でもトップレベルだと思う。 それが経済力世界2位を結論付けたのだろう。





僕が客室乗務員だったときの話 | Comment(0) | TrackBack(0) | 香港 ☁