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Jose

2006年08月13日

僕が客室乗務員だったときの話 ■第8章全文■男と女


■第8章全文■男と女

この本をポルノにしたくないが、男女関係を語るにおいて「性」は避けられない。 性は人を狂わせ、時には犯罪の引き金にさえなる。 人間にとって侮れない相手だ。 よって、ここでは性も多少含めたこの航空会社での出来事を書いていきたいと思う。

スチュワーデスの悩み

スチュワーデスの3大問題、と書き始めれば語呂が良いのだが、実際は3つ以上ある。 不倫、離婚、万年独身、アル中、健忘症などで、それらに付随して起きるのが、性病、自殺、そして鬱病(うつ病)などであろう。

健忘症

つまり物忘れが激しくなるものだ。 なぜ物忘れが激しくなるかと言うと、まず空気の薄い所にいることが一つ。 酸素が充分にない所に長時間いて、それが頻繁に起きると物忘れが激しくなり易いそうだ。 また、飛行機は上空の高いところにいるため、オゾン層に近く、紫外線を直接受け、放射能を浴び易い。

ここまで書くと難しく聞こえるので、もっと簡単に言えば、太陽に近い所にいるので、太陽の発する放射能を浴びて、脳味噌に影響を与え、物忘れが激しくなる、というもの。 また、髪の毛も抜けるらしい。 パイロットにハゲが多いのもこのためだ。

自殺

自殺は稀に聞いた。 自殺で最もよく聞いた原因は「失恋」。 これもどこの社会でもよくあることだ。 しかし「自分の命を奪う」、という行為は単に「失恋」だけではなく、他にも複雑な原因があるには違いない。

アル中

アル中の原因も解り易い。 ストレスや孤独感から起きるものだろう。 CAとして常時移動していると、他人と安定した関係を築き難く、孤独感に陥り易くなる。

始めは楽しくても…1
在日韓国人スチュワーデスと親しくなった。 俺よりカナリ前に入社した先輩で、黒木瞳のような雰囲気を持つ綺麗な人だった。 CA名簿には「Korea」と載っていたのに、打ち合わせの時の自己紹介では「日本から来ました」と言っていた。 これは彼女だけでなく、在日韓国人CAはみんな同じ事を言うことを後で知った。

在日韓国人等の事情に疎かった俺には、彼等独特の「2つのアイデンティティー」が理解できず、「韓国人なのに、日本語が母国語って、スゴイなぁ」くらいにしか思わなかった。 俺はにわか覚えの韓国語で挨拶したが、彼女は不愉快そうな顔をしていた。 「私、韓国語あんまり解らないのよ。 名簿の言語欄に “Japanese” って書いてあったでしょ。」

彼女は俺の上司だ。 これはマズイ事になった、と思った。 ヨーロッパ線という長いフライトで、上司を怒らせたら惨めな思いをする。 俺はあとで彼女に謝りに行き、韓国人なのになぜ韓国語が話せないのか解らない、と率直に話した。 「スンまっせん。 俺ぁ、九州の田舎出身だけん、あんま韓国人とか会ぅたことがなかとですよ。」

「あんまり気を使わないで。 私は日本人と同じなんだから。 あっち着いたら一緒に出掛けようか? このフライトには日本人は2人しかいないし」と彼女は機嫌を直してくれた。 正確に言えばそのフライトには日本人は俺一人だった。 俺は彼女の「日本人が2人」という言葉に親近感を感じた。 また韓国籍といえども、日本で生まれ育った彼女は雰囲気や話し方も日本人と全く変わらず、渡航先で一緒に出かける友人も全て日本人とのことだ。

始めは楽しくても…2
彼女はレストランに入るなり、酒をグイグイ飲み始めた。 彼女は酒を飲むとよく愚痴を言ったものが、彼女の愚痴もとても興味深かった。 愚痴の中心は韓国に語学留学をした時のことだった。 本土の韓国人は在日韓国人を差別しているらしく、よく酷い罵声を浴びせられていたらしい。 日本に帰りたい、としきりに言っていた。 「日本に帰化したいけど、お父さんが許してくれない。」

日頃は男のくせにお喋りな俺も、彼女の話は黙って聞いていた。 彼女は気分が良かったらしく、レストランを出ると近くの酒屋でウィスキーとビールを買い、今度は彼女の部屋で一緒に飲むことになった。 彼女は年上だが俺好みの甘い雰囲気も持った美人だ。 誘われて何も考えなかったわけではない。 俺も当時はかなり飲めた方だが、「不能」になるといけないので、ホドホドにした。

香港に戻ってからも、彼女の相手を泊り掛けでつとめた。 彼女は「毎日飲まないと生きていけない」らしく、しかも一回に飲む量も多かった。 ガブガブ水を飲むようにビールを飲んでいた。 たくさん飲んだ方が「感じる」らしい。 始めは楽しかったが、アル中とは長くは付き合えない。 半病人を看ているような気分になった。 また休日によく遊びに行っていたタイやフィリピンで飲む方が楽しく感じられたので、理由をつけては断るようになった。 断っているうちに、彼女の方からも誘いがなくなった。

その後、彼女は結婚するためにこの航空会社を辞めて、日本に帰ってしまった、との事。 機内で日本人ビジネスマンと知り合い、数ヶ月の遠距離恋愛の末、結婚したらしい。 寂しさを紛らわすために酒だったのだろうから、きっと今頃はアル中から抜け出せているに違いない。

不倫疑惑

不倫や離婚も日常茶飯事だ。 CAという立場で首尾よく結婚できたとしても、常に動き回るのが仕事であるCAには、配偶者や子供と過ごせる時間は限られている。

スチュワーデスである妻に不倫疑惑を抱き、夫が忽然と家から消えた。 そのショックでそのスチュワーデスは鬱病などの精神障害を起こした、という話を聞いた。

実はこの話は本人から聞いたものなのだが、実際に不倫をしていたらしい。 その夫婦はインド人だが、スチュワーデス、つまり妻の方がヨーロッパで「遊び相手」を作り、それが友人などを通じてバレてしまったとのこと。 しかし、仮に不倫をしていなかったとしても、いつも自宅から離れているCA職というのは要らぬ疑惑を掻き立てるものだ。

男にもおこる「痴漢行為」1

男に対する痴漢やセクハラ行為は、女に起こるほどは深刻なものではない。 しかし時々事態は冗談では済まされない時もある。

確かロサンゼルス線だったと思う。 機内でサービスをしている時、俺の尻を軽く触った客がいた。 たまたま手があたっただけだろう、と思い振り向きもせず、そのまま仕事を続けたが、次そこを通った時も尻を触られた。 「触る」といっても「指」で尻の真ん中をなでるような感じだ。

気になったので、振り向くと、それは女だった。 50代位の女性で、香港人なのか、ケラケラ笑いながら広東語で何か言っている。 何を言っているのか解らなかったので、俺も「OK! OK!」などといい加減な返事をして、その場を立ち去った。

次ぎそこを通ると、今度はその女は俺の尻を握ってきた。 少し痛かったが、痛がる素振りを見せると「負けた」ような感じがするので、知らない振りして通り過ぎた。

その後も尻を握ったり、つねったり、とエスカレートした。 5・6回は続いたと思う。

男にもおこる「痴漢行為」2

段々腹が立ってきて、相手に向かって「止めてください」と穏やかに抗議すると、今度は「前」を握ってきた。 少し強くつかまれたので、今度は本当に痛かった。 周りにも客がタクサンいて、その一部始終を見ていたのか、失笑していた。

恥ずかしいのと痛いので、俺は殴ってやりたくなったが、相手は乗客で、しかも女。 殴るわけにもいかない。 ついに俺は作業場(ギャレー)に戻ってフィリピン人の上司に報告した。

その上司は女なので、どう説明したら良いのか一瞬迷ったが、結局そのまま事の顛末を話した。 女上司は鋭い目付きで真剣に頷きながら、「これはほっとくわけには行かないわね。 絶対に許せないわ」と言い、もう一人広東語を話せるCAを通訳として連れて、その痴漢女に抗議をしに行った。

その上司は戻ってきて、「彼女はちょっと酔ってるらしいね。 でももう大丈夫よ。 今度やったらアメリカの警察に引き渡す、って警告してやったから… ところでもう痛くない? 現地に着いたら病院行かなくても大丈夫?」なんて言う。

もちろん病院に行くほどのことではなかった。 こんな事で病院に行くなんて… 俺は医者になんと説明したら良いのだろうか…

結婚できない多くのCA達

おそらくCAは恋愛の数だけでいえば、どの業界より多いかもしれない。 CAは常に移動する。 だから、レストランなどで働くように、「常連客と仲良くなって…」等ということはほぼ有り得ないが、不特定多数との出会いの数だけはかなり多い。 なにしろ一回のフライトで、何百人という人間に話し掛けるのだ。

俺自身、女性乗客に連絡先を聞いて断られた覚えがないし、スチュワードの多くは同じようなことを経験していたと思う。 「制服の効果」だろう。  ホステスクラブやその他の風俗店も「出会い」はあるだろうが、数は限られている上、職業上「きちんとした」恋愛を望むことは難しい。 普通の会社員やOLなども、社内外での出会いは限られている。

出会いの機会だけはかなり「恵まれている」CA職だが、その分失うものは大変大きい。 特に上司である「チーフパーサー」やそれに準ずる地位である「シニアパーサー」、両方とも30歳以上は超えるが、こういう人達でまともな結婚生活、もしくは結婚している人にあまり会ったことがない。

多くは結婚生活が破綻していたり、浮気をしていたり、独身であったりする。 独身のパーサーは結婚したCAの話を聞くと、「結婚したからって自慢してんじゃないのよ!」とひがんだりする。

まずは万年独身が非常に多い。 早い話が、出会いがあり過ぎて、ついつい油断をしてしまい、いつの間にか年を取ってしまったタイプだ。 たまには40歳を越えても本当の恋愛をし、結婚を考えることもあるそうだ。

しかし今度は「せっかくここまで苦労して築いてきたキャリアを、ここで終わらせて良いのか?」とか「『結婚後も仕事を続けて欲しい』なんて相手は言っているが、本当に信用できるのか?」などと余計な事を考えてしまう。 そして彼女達がウダウダ考えている間に、交際相手はシビレを切らし、別れてしまうのだ。

そして、そうこうしている間に完全に「婚期」を逃してしまい、CA職からも引退する時期になり、地味な事務職に就く。 すると今度は老後をどう過ごしていくかが課題になる。

お局チーフパーサーの「狂行」
どのフライトだったか憶えていないが、航行中に40代小太りの独身香港人チーフパーサーが俺達の作業場にやってきて、俺に話しかける。 話題は恋愛の話だ。 どんなタイプの女が好きか、などと尋ねてくるので、「優しい人」と答えると、「あら、私は優しいわよ。」等と言う。

その後、俺を隣に座らせ、俺の手を握ったり、太ももを触ったりしてきた。 他のCAが出入りしている時は、さすがに手を離していたが、他に誰もいなくなるとすぐまた触ってきた。 そのうち他のCA達も「空気を読んだ」のだろう。 誰も出入りしなくなった。

もうこんな事が20分くらい続いただろうか。 さすがに「これは本当にマズイ!」と思い始めたが、太ももを触られたりするのは正直気持ちイイ。 一瞬だが、彼女が俺に「口で行為」をしている姿を想像した。 イカン、イカン!

「この女とヤッちゃっても良いが、相手はチーフパーサー。 『権力』のある身で、しかも婚期を逃した『必死な』女だ。 他の女と付き合うこともできなくなるし、バンコクやマニラに遊びに行くこともできなくなる。 全然美人でもないしタイプでもない。 ここで軽はずみな事をしたらトンでもない事になる。 誰か来い! 誰か来てくれー!」

すると作業場にある業務用電話が鳴り、「チーフパーサーに用があるから、時間があったらファーストクラスに来い」との事。 俺は彼女に「今すぐ来て欲しい、って言ってますよ。」と伝えると、彼女は「またね」とウインクして、去っていった。

俺は単に心配し過ぎだったのかもしれない。 香港に戻ってから、彼女からの連絡はなかった。 しかしもし俺があの時「軽はずみな事」をしていたら、どうなっていたか分からない。 だが、いずれにせよ、あの時の彼女にとって「男」なら誰でも良かったのかもしれない。

ストーカー

郵便物がない!・・・1
俺がしばらく付き合ったこの航空会社のスチュワーデスがいた。 この女は社内では俺と同じランクだったので、あまり心配することなく、しばらく付き合った。 当時、俺には他の国に本命の恋人がいたし、その女にも他に付き合っていた男がいた。 だから後腐れなく付き合える予定だった…

中華系インドネシア人スチュワーデスだった。 彼女のマンションの冷蔵庫には機内から盗んできたジュース、そしてハーゲンダッツがいっぱい詰まっていた。 野菜やその他の食材は一切無い。 彼女の家に行く度にアイスクリームの他、機内食、カップヌードル、紅茶など、機内からの盗品ばかり食べていた。 飛行機の中とあまり変わりがない。 全く料理ができない女だったので、フライトがあまりない時にはピンチだ。

そんな時はインドネシアから大量のインスタントラーメンを送って貰っていた。 香港で買うより、物価の安いインドネシアから送って貰った方が安上がりだからだ。 こんな女と結婚したら栄養失調になるだろうなぁ、と思っていた。 
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郵便物がない!・・・2
この女は近所に住んでいた。 本命の恋人について互いに相談するような、何とも不思議な仲だったが、所詮「男と女の関係」。 そう単純に割り切れるものでもない。

始めの頃は「フライトが終わったら私のところに必ず来てね!」など、「小さなわがまま」で可愛いもんだ、と思ったが、徐々にエスカレートし始めた。

知り合ってしばらくすると、俺の郵便受けから郵便物が消えていた。 1ヶ月ほど全く何も入ってない。 不思議に思っていると、ある時その女が「ハーイ、貴方にプレゼントがあるよ〜」などといって、俺に紙の束を渡した。 俺の郵便受けに入っていた郵便物だ!

浮気する人間は嫉妬深い、という話を以前聞いたことがある。 自分が「不義」を犯しているので、他人も信用できないのだ。 この女はその典型だったろう。 俺の郵便物から女っぽい名前を探しだし、俺を詰問した。

それから夜中に電話がかかって、「怖い夢見たから来て!」とか「(本命の)彼氏と喧嘩したから来て!」などという。 それから、無言電話も度々かかってきた。 俺はとうとう「おい、このイタズラ電話! 今から警察に電話してお前を逆探知してやるぞ! 覚悟しとけ!」と怒鳴りつけた。 すると何分もしないうちに、「ごめんなさい。 もうしないから…」とのその女からの電話が!

あとは思いっ切り俺の脇腹をツネったりと、あまりにバカげた、冗談じゃ済まされないイタズラをするので、俺は彼女を人間的に嫌いになっていき、彼女との行為の時は「不能」になってきたのだ! それが効をなしたのか(?!)、彼女は次第に俺の元から離れて行った…!

俺がこの航空会社を辞める頃に、この女は昔からの本命のドイツ人彼氏と結婚したらしい。

スチュワーデスAIDS疑惑

部屋のドアの鍵が掛かった時…1
遊びが過ぎて性病に罹る者も中にはいる。 俺もAIDSと噂される同じ会社のシンガポール人スチュワーデスに会った。 実名に近い仮名をつけて「ジュ―ディー」としておこう。

スチュワーデスといっても、セクションリーダーという、係長職、つまり俺の上司に当たる人だ。 噂によると、彼女は一度オランダで大勢の前で性行為におよんだことあるらしかった。

オランダのアムステルダムには “Red Light District” (赤ライト地区) と呼ばれる大規模な風俗街がある。 ブティックのショーウィンドーのようなものが並んでおり、その中に娼婦達がいるのだが普通の娼婦とは違う。 裸だ。 上半身裸や中には素っ裸の女がショーウィンドーの中にいて、通る男達に手招きをしているのだ。

世界には色んな風俗街があるが、こんな所は珍しいだろう。 歌舞伎町を含め、世界中にある風俗街ではせいぜいホステスや売春婦が「服を着たまま」手招きしたり、話し掛けてきたりするだけだ。 ショーウィンドーの側を通る大勢の男達は、通常「ウィンドーショッピング」をするだけだが、たまに本当に入っていく奴もいる。

この風俗街には「セックスショー」というのがある。 嘘のようだが、これが正式名称だ。 ドリンク付約3000円で、文字通り舞台上で男女の「役者」が性行為を見せるのだ。 その他にも自分の性器で色んな「芸」を披露したり、男性客を舞台にあげてちょっとした「イベント」をやったりする。 俺も一度他の先輩スチュワーデス達と見に行ったことがあるが、気持ち悪くって見ていられなかった。

自分がやるのは良いが、他人がやるのを見ても全然面白くないし、第一、男が自分の性器で芸をしているのを観ても吐き気がするだけだ。 ヴグッエ!

俺が観に行った時は、俺達の前列に中国人の4人家族(両親と娘2人)が座っていた。 両親はデカイ声で話していたが、娘達は黙っていた。
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部屋のドアの鍵が掛かった時…2
このAIDSと噂される女「ジュ―ディー(仮名)」は同僚スチュワーデスやパイロットと、この「セックスショー」を見に行ったらしい。 その時彼女は何を考えたのか、舞台の上に自分で上がり、舞台上の「役者」と性行為に及んだらしい。

これを見たパイロットは、この女を自分の飛行機に乗せることを拒否した。 パイロットは機内の最高責任者であり、乗せたくない者を拒否することができる。 しかし実際に拒否した、という話は極めて稀だ。

その日、その噂されるスチュワーデス「ジュ―ディー」はたまたま俺の宿泊していたホテルに泊まっていた。 たしかパリかドイツのマインツだったと思う。 一緒に飛んできたわけではなく、俺より2・3日前にやってきていたようだ。

ほとんど面識もないのにロビーで話し掛けられ、「ここには私の友達がいないから、私と一緒に食事してちょうだい」と誘われた。

こういった事自体はそんなに珍しい事でもない。 滞在先のホテルでは面識がなくても、誰がスチュワーデスかというのは一目で判ることが多い。 「同類の臭いがする」というと、なんだか謎めいて聞こえるが、簡単に言えば「見かけ」で判る。

スチュワーデスは自宅よりホテルで過ごす時間の方が長いこともあるので、ホテルは自宅に準ずる所。 だから多くのスチュワーデスは普段着だったり、自宅にいる時のようなだらしない格好をしていたりする。 

年に一回の旅行者のようにお洒落をしないし、逆に探険家やバックパッカーのような格好もしない。 化粧さえしないスチュワーデスもいる。 だからかえって目立つのだ。

そしてスチュワーデスは男と違って単独行動を嫌う。 だから暇なスチュワーデスの方からスチュワードを誘って食事することも全く珍しい事ではないのだ。

部屋のドアの鍵が掛かった時…3
俺は「ジュ―ディー」に言われるがまま、ホテルのレストランに向かった。 食事中、彼女はシンガポールは皆が言うほど「清潔」でもなければ「厳格」でもないこと、そして隣国マレーシアとの複雑な関係などを話してくれていた。

こういった政治の話はこの航空会社では日常的だ。 異国籍・異人種の会社なので、国際情勢は共通の関心事だ。 また他のスチュワーデス同様、俺自身何度もシンガポールに行ったことがあり、大体の事情は解る。 シンガポールは新宿よりは多少は清潔だが、それでも千代田区程度だろう。 しょせんは人間が住む場所なので、どんなに法律を厳しくしてもゴミは散らかる。 しかし東南アジアは奥が深く、知らない事はまだまだたくさんある。 彼女の話は興味深く、俺は会話と食事を楽しんでいた。

すると1人の華僑スチュワーデスが大真面目な顔で早歩きでやって来て、黙って「ジュ―ディー」の目の前で俺の腕を掴み、レストランの外に連れ出した。 そして鋭い目付きで、彼女はAIDS患者である事、セックスショーでの出来事、いつもこうやって男を誘い出し、性行為をすることによってAIDSを広めようとしている事等を俺に話すのだ。

「あの女だけはやめなさい。あの女だけは」と言い捨て、去っていった。 

「何? AIDS?!」 噂には聞いていたが、俺が話していた相手がその女だったなんて… どんな顔をして彼女の所に戻ったら良いのか判らなかったが、何より「ジューディー」がどんな思いで独り座っているのかが気になった。 できるだけ平静を装って戻ることにした。

「ジュ―ディー」は苦笑いをしながら待っていた。 「あの女、私の悪口言ってたでしょ? あの女は私の事が嫌いのよ。 仲が悪いの! それにタブン、あなたの事が好きだから嫉妬してるのよ。 可愛いから!」

俺は自分の事を可愛い、とかモテる、とか思ったことがない。 しかし、普通ならお世辞でもそう言われれば嬉しいものだ。食事が終わり、「ジュ―ディー」は俺の部屋に来たい、と言い出した。 「友達に伝言があるから伝えて欲しいから」などと、俺にはどうでもいい理由だ。 俺の頭には「彼女はAIDSじゃないだろう。 まさかなぁ… まさか俺に限ってババを引くなんてないだろう…」と勝手な憶測だけに満たされかけてきた。 俺は彼女を部屋に入れた。

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部屋のドアの鍵が掛かった時…4
女と部屋に入る時に喉から胸に走る「欲情」。 相手がどんな女でも同じ感覚だ。 「カチッ」と音を立てドアが閉まった瞬間、「理性」が消えていくように感じられた。

部屋に入ると、2人でベッドの端に座り、「ジュ―ディー」は俺の手、そして胸や顔などを触りだした。 フィクション小説なら「彼女の手の平は、スチュワーデス特有の硬い…」と言えるだろう。 しかし本当に硬かったかどうかは憶えていない。 実際、「肉体労働者」であるスチュワーデスの手は、他の女より硬いことが多いが、そうでないスチュワーデスもいる。 その時の俺は、彼女の慣れた手の行方を、「体」でたどるだけだった。

その時、ある映画を思い出した。 トム・ハンクス主演の「フィラデルフィア」という映画で、主人公はAIDSに罹り、最後には死亡する、という物語だ。 その過程で彼は顔も体も黒い斑点だらけになり、色んな症状に苦しみながら死に近づいていく。 この光景が思い出された。

正直、その当時を含む俺の私生活はとても褒められたものではなかった。 いつ美人局(つつもたせ)に丸裸にされて、殺されてもおかしくない生活。 だから「この程度」のリスクは冒せるはずだ。 大したリスクじゃない。 やってやろうか…

彼女が俺にキスしようとした瞬間、俺は彼女を引き離した。 キス位ではAIDSには感染しない、と言われるが、彼女とはキスする理由もない。

俺: 「ゴメン! できない! 今日はできない!」
彼女: 「どうして? 私は別に病気じゃないのよ!」
俺: 「いや、あの、違うんだ! 俺には心に決めた人がいるんだ。 えーと、婚約者だ。 彼女は… えーと… 男だ!」

などと支離滅裂なことを早口で言った。 俺は同性愛者ではないので、こんな事を口走ったことを少し後悔した。 この航空会社のスチュワードには同性愛者は珍しくなかったので、充分信じられる話なのだ。

部屋のドアの鍵が掛かった時…5
それから少しの間、納得していない彼女と押し問答が続いたが、やがて彼女は俺の部屋から出て行った。 彼女が出て行った後、正直「あー、やっぱヤッとけば良かったなぁ」とモヤモヤした欲情が残った。

しかし俺が彼女とのキスを拒否した時、彼女が「私は別に病気じゃないのよ!」などいうのはどう考えてもおかしい。 俺は一言も「病気」という言葉を口にしていないのに、あんな事を言うのは「私は病気よ!」と言っているようなものだ。

ちょうど殺人犯が「妻が死んでいる!」と自分で警察に電話するのと似ている。 通常は自分の配偶者が「死んでいる」とは思いたくないし、倒れていても手術などで息を吹き返すこともある。 それを「死んだ」と確証できるのは、「殺した」という確証があるからだ。 余計な事を言うのは、自分が「黒」だと言っているようなものだ。 こうして自分が彼女とセックスしなかった理由を正当化した。

それから2・3ヶ月ほどして「ジュ―ディー」とは会社でバッタリ会った。 彼女はこの航空会社を辞めて、シンガポールに帰る、と言う。 理由は聞かず、俺は彼女を抱きしめて一言「ゴメン。 元気でね」とだけ言った。 俺を「殺そう」とした相手だが、彼女がなんだか気の毒で、可哀想で仕方なかった。 彼女は爪を立てるように俺の背中を抱いているように感じた。

7月くらいだったろう。 香港では台風と大雨の時期だ。 その日は晴れていたが、彼女の髪は湿った匂いがした。

「ウノ・ドス・トレス」

フィリピンには「トレス」という表現があるとのこと。 元々はスペイン語の「ウノ・ドス・トレス(uno, dos, tres)」、つまり「1,2,3」から来ている。

1 (ウノ) は「夢中にさせる。」
2 (ドス) で「騙す。」
3 (トレス) で「息の根を止める。」

という、フィリピン人が大好きなジョークの一つのようだ。 しかし、事情の解らない俺達に外国人にしてみれば、冗談では済まされない。 俺はアメリカやメキシコ、そして大阪にいたときは、色んな男や女と関わって、色んな痛い目を見たので、人間の性質や発展途上国の事情は解っているつもりだった。

しかし、フィリピンは俺がいかに経験不足で甘チャンで、しかも「本当は何も解っていないガキ」だということを教えてくれた。

フィリピンの面白言語環境
フィリピンには大小合わせて300以上の島々がある。 首都マニラは排気ガスがひどくて息苦しい位だし、数字の上ではどうか知らないが、人口の過密度は東京などの比ではないように感じる。

しかし田舎に行けば行くほど、広々とした、爽やかな、美しい自然に出会うことができる。 マニラから2・3時間ほどでジャングルに囲まれ、清々しいスコールが大都会のスモッグを洗い流してくれるのだ。

フィリピンは元スペインの植民地。 「フィリピン」という国名も、植民者スペインの当時の皇太子「フィリップ二世」にちなんで付けられたものだ。 よって彼らの会話には多くのスペイン語の単語を使う。

またスペインが手放した後は、アメリカの植民地になったため、現在でも英語が中途半端に通じる。 しかしやはりタガログ語が多くのフィリピン人の母国語だ。 しかし地方出身者はセブアノ語などを話す。

こういった事がフィリピン人の会話を複雑、かつ興味深いものにする。 時間を尋ねるときはスペイン語だ。 もちろん答える時もスペイン語数字で答える。

しかし地元の野菜市場などに行くと、使うのはタガログ語の数字。

コンビニやデパートに行くと英語の数字を用い、カタコト英語で会話する。

現地フィリピン人のように暮らそう、と思ったらこれらタガログ語、英語、スペイン語の3つをある程度知らなければいけない。 幸い、俺は昔メキシコに住んでいたので、スペイン語には不自由せず、フィリピン人の会話の概要がつかめることが多かった。

しかしタガログ語は発音は簡単だが、文法が非常に複雑だ。 英語とも日本語とも似ても似つかない語順で、とうとうマスターすることができなかった。

1(ウノ) …「夢中にさせる。」 1
俺は機内で知り合った女性乗客と住所交換して、よく彼女達と現地で会っていた。 また、彼女達が香港に短期滞在した時は、時々香港を案内したりした。 一時期は俺のマンションは「無料ホテル」のようになっていた。

もったいなかったが、大き目のベッドとお洒落なベッドシーツを買った。 そしてガラにもなく部屋を片付けたり、調理用具を買ったり、料理の勉強も多少した。 もちろん日本にいる恋人からの手紙を隠した。 また、俺は腹の底じゃ彼女達を信用していなかったので、家の中にもカネを隠す所を作った。

初めは、「飛んで火に入る夏の虫」とばかりに、女の子を自宅に入れていたが、そのうちカネを隠したり、掃除をしたり、食事を用意してあげたりするのが面倒になった。 しかし、なにより観光案内や空港送迎には大変な時間と体力を消耗する。 彼女達を空港に送っていった後は、いつもクタクタになっていた。

不特定多数の女と遊ぶ為だけに、こんな事までをするのはバカらしい。 数ヵ月後「香港は一人で寝るための休養基地」と決めて、「遊ぶ拠点」は海外に置くことにした。

ある日、機内でフィリピン人女性と知り会った。 広島かどこかのフィリピンパブで働いていたらしく、日本語が上手かった。 しかしなにより美しい容姿が俺の欲をそそった。

1(ウノ) …「夢中にさせる。」 2
香港からフィリピンに何度か電話した。 通常、俺は香港からの国際電話は、日本にいる恋人や家族にしか掛けなかった。 機内で知り合った女性乗客のために、高い国際電話代を払うのはもったいなかったからだ。 現地で女性と会う時は、事前に電話するようなことはせず、現地についていきなり電話をしていた。

香港から日本以外に電話を掛けたのは、このフィリピンが最初で最後だったかもしれない。 この女なら国際電話代くらい払っても良い… その位、彼女の美しさに夢中になっていた。

ある休日、ついにフィリピンの彼女に会いに行った。 メトロマニラ随一の商業地区マカティや郊外のケソンシティーを案内してくれた。

マニラの中心地にはそれまで何度も行ったことがあったので大体の場所は知ってはいたし、ケソンシティーには特別なものは何もなかったが、そんなことはどうでもいい。 彼女が美しい目を輝かせ、熱心に案内にしてくれる姿が可愛く見えた。

次の日の夕方、別れ間際に再度会いたいと言うと、「今度会う時は結婚する時よ。 約束してくれる?」と俺に告げた。 俺の頭の中は、毎日彼女とベッドで交わる姿だけでいっぱいになった。

欲情で頭がいっぱいな俺は一軒家をマニラ市内に借りて、彼女を住まわせ、週に一回はそこに「帰る」ことにした。 テレビ、ベッド、カーテン、ソファー、テーブル、台所用品… 考えられる物は全て揃えた。 全てフィリピン基準での高級なものを使い、少なくとも100万〜150万円位使ったと思う。 彼女は子供のように喜んでいた。 俺は妄想内の「ファンタジー」を完成させた。

一週間ほどして、フィリピンの「愛の巣」に戻った。 ん、すると誰か中にいる。 リビングで男女2人の老人が黙って座っていた。 てっきり家を間違えたのか、と思ったが、やはりここは「俺と彼女の愛の巣」だ。

中に戻って老人に何をやっているのか尋ねると、「英語らしき言語」で何か答えていたが、フィリピン訛がきつくて何を言っているのか殆んど解らない。

2 (ドス)…「騙す。」  1
フィリピン語で「asawa」云々と言っていたので、タブン「お前の『妻』はすぐ戻ってくる」とでも言っていたのだろう。 しばらく2階の自分の部屋に行き、そこで独りでテレビを見ていた。 “Nasyonal Pulis” だったか名前は憶えていないが、昔に流行った「太陽にほえろ!」のような熱血刑事ドラマだ。

フィリピンならではの、英語とフィリピン語が混ざった警官同士の会話だった。 賄賂大国フィリピンに、こんな正義感溢れる警察官がいる訳ないだろう、と思いながら見ていた。 (ちなみにこのドラマの俳優はエストラーダといい、のちのフィリピン大統領になる。 その後、汚職などの腐敗により「第2の民衆革命」が起き退陣。 その後、現在のアロヨ大統領の直接命令で逮捕される。)

2・3時間ほどして彼女が戻ってきた。 俺は嬉しくてドアまで走っていくと、彼女は買い物袋を下げていた。 偶然友達と会って、話していたので遅れた、と彼女は一生懸命弁解するように話していたが、そんな事はどうでも良かった。 俺が知りたかったのは「この2人の老人達は誰か?」だ。

なんと、その老人は彼女の両親だという。 両親に向かって、帰ってから挨拶もロクにしなかったことへの非礼を詫びた。 ニコニコして黙ってうなずいている。 見れば見るほどかなり老けて見える。 40歳くらいで結婚したのだろう、とも思ったが、発展途上国の中年は老いるのも速い。 貧困から来ているからだろうが、これはメキシコでもそうだった。 日本では60代でも若く見えるものだが、メキシコやフィリピンの貧困層は40代でも60代・70代に見えるし、実際亡くなるのも早い。

ともかくその後、「両親はあと一週間位滞在する予定なので、その間は俺と寝ることはできない」と彼女は俺に告げた。 マニラに向かった時点から俺は欲情していたので、残念で仕方がなかった。

2 (ドス)…「騙す。」  2
しかし、ここにいるのは彼女の両親だ、尊重しなければ、と自分に言い聞かせた。 モヤモヤした欲望を溜めて、その夜は俺一人で就寝、そして次の日はまたモヤモヤしたまま香港に戻った。

次の週「もう彼女の両親は出て行ってる頃だろう」と、マニラの「愛の巣」に戻った。 すると中では7・8人の子供が走り回っているではないか! 彼女の話によると「彼女の兄弟」とのこと。 腰が抜けんばかりだったが、仕方ない。

自分の部屋に上がると、「俺達のベッド」に老人2人が死んだように横たわっている。 彼女の両親だ。 「まさか死体では?!」とも思ったが、かすかに寝息を立てていたので、生きていることは判った。

気を取り直した後、その日、俺は彼女と近くの市場に買い物に行き、その後塩辛い豚肉料理と冷や飯(フィリピンでは塩辛い料理が多く、またフィリピンでは手で食べるの基本である為か、ご飯も冷えるまで待って食べる)を食べた後、彼女の「兄弟」達に囲まれて床の上にダンボールを敷き、寝た。 それから2・3度、マニラの「愛の巣」に行ったが、行く度に人数が徐々に増えていた。

しかし4度目はもう限界だった。

3 (トレス)…「息の根を止める」?! 1
4度目はもう限界だった。 25・6人位はいたと思う。 彼女が「兄弟」だといっていた少年少女の中には、本当はどうも彼女の実の子供がいることが判った。 少なくとも3人は彼女の子供らしい。 他の子供や大人は、タブン親戚や近所の人達だろう。 しかし彼女がいうには「兄弟」だ。 沖縄では「いちゃりば ちょーでー」(一度会えば皆兄弟)というが、きっとフィリピンには敵わないだろう。

子どもだけなら小学校や幼稚園のように見えたかもしれないが、実際は半分くらいは大人だったかもしれない。 子供は無邪気に遊んだり、走り回ったりしている。 しかし大人は無表情に俺を一瞥したり、じぃぃーと見つめていたり、そして俺の方には目もくれず無表情にテレビを見ていたりと、皆一様に無表情で、なんとも不気味な雰囲気だった。

しかし、人数だけならまだ良い。 テレビと冷蔵庫だけを残して、他の家具はみんな消えていた。 全部現金にしたのだ。 これで俺の中の我慢していたものがハジけた。 「俺が買ったものを勝手に売らないでくれ!」

彼女は堂々と反論して来た。 彼女曰く、俺は家に充分なカネを入れない、貧乏と解っているくせに、俺は彼女の家族を助けようとしない。 俺の責任だ、と彼女は突然涙ながらに、家族の前で訴えるのだ! 俺は彼女が気が違ったのかと思った。 しかも時々「家族」のほうを向いて、フィリピン語で訴えかけている。 フィリピン語にはスペイン語がたくさん含まれているので、彼女が言っていることは大体理解できたが、今はそんなことを自慢している場合ではない。

初めて会う彼女の「家族」の中には、大人の男が何人か居た。 その男達は立ち上がると「そうだ。 そうだ。 お前が悪い!」「カネくれよ。」「今から銀行に行ってこいよ」などと言い出した。

何が何だか解らなくなってきたが、身の危険を感じた俺はとりあえず逃げることにした。 フィリピンには日本のように「110番」のシステムがない。 また多くの警察署には電話すら置いてない。 身の危険を感じたら、警察署に走っていかなければならない。 また、どこに警察署があるのかすら知らなかった。 いずれにせよ、警察に駆け込んだところで、腐敗したフィリピンの警察に身包み剥がされるのがオチだろう。

走れば追いかけられるかもしれないので、「解かった。 今から銀行に行ってくる。 ちょっと待ってくれ!」といって外に出ようとした。 すると男どもの何人かが一緒に来る、というのだ!

「男達だけで行かせるわけにも行かない。 心配だから私も一緒に行く」、と彼女が「助け舟」を出すかのような口ぶりで言った。 何の「助け舟」にもならない。 ただ、監視する人間が一人増えただけだ。 しかし、彼女が来なければ、俺は本当に殺されるかもしれない… やはり助け舟か…

3 (トレス)…「息の根を止める」?! 2
とりあえずにメシを喰いに行くことにした。 一人が「腹が減った」、と言い出したからだが、他の連中は「いや、銀行が先だ」などと言っている。 俺は「メシを先にしよう」といった。 すると男どもが反発を始めたが、「いや、メシが先だ」と俺は譲らなかった。 ここだけは譲るわけにもいかない。

「メガモール」というフィリピンで一番大きなショッピングセンターでメシを喰うことになった。 ここにはフードコート、つまりレストランが集結している階があるが、値段はかなり高く、他所で喰う値段の5倍から10倍、日本並みの値段だった、という印象が残っている。

オンボロのジープ風の車を運転する男の1人。 後部座席の真ん中に座る俺の隣には彼女がいた。 俺たち2人を挟むようにして男2人が座った。 助手席にも男がいる。 4人男がいる。 ショッピングセンターに着くまで、何事も無かったかのように極力明るく振舞い、笑顔で通した。

「この男ドモをどう始末してやろうか…」 本当は腹も立っているし、恐いし、屈辱的だし、どうにかしてこの場を切り抜けなければならない。 「まずは俺の隣にいるこの男の顔をもっているボールペンで… そして彼女の向こうにいる奴は… 彼女が邪魔だな。 こいつ、やっぱり来なきゃ良かったのに…」

色々考えたが、こいつらを全員始末するのは無理だろう。 俺は喧嘩には慣れていたが、人を殺したことはないので、想像するように上手く行かないだろう。 なにより俺には殺人を犯せるような度胸はない。 「無駄なことは考えまい…」

無事「メガモール」に到着してしまった… フードコートに入ると、案の定、彼女と彼女の「兄弟」達は一番高い食い物を注文した。 俺は食い物を少しとビールを何本か注文した。 そして彼等と談笑し、ビールを注いでやったりした。 そして「ちょっと、トイレに行ってくる」と俺はゆっくり立ち上がった。 彼等はメシと酒と雑談に夢中になって、俺の方はほとんど見ずに、「OK!」とか言っている。

その時彼女が立ち上がり、俺にキスした。 “OK! Don’t get lost” (迷子にならないでね!) 普段は日本語なのに、なぜか英語だ。 大量の食い物を前に少し浮かれていたのか?

彼女は立ったまま、今にも付いて来そうだ。 体中からカッ、と冷や汗が出るのを感じた。 俺は “Yes, of course!” (もちろんだよ!) とできるだけ自然な笑顔を取り繕って、ゆっくり歩いていった。 実際は10mほどだったろうが、何十kmも歩いたように感じた。 後ろには立ったままの彼女が俺をずっと視ていた。

そして俺は「彼等の視界から消えた」、と確信したところで、早歩きで外に向かった。 フィリピン最大のショッピングセンターはやはり広い。 途中何度も迷いそうになった。 シューベルトの歌曲「魔王」のように、急いでも急いでも後ろから追ってくる悪魔に魂を吸い取られそうだった。

やっとショッピングセンターから「脱出」し、たくさん停めてある中でも一番近いタクシーの中に入った。 “Sa airfort, po!” (空港へ御願いします!)

3 (トレス)…「息の根を止める」?! 3
マニラの交通渋滞は、バンコクの交通渋滞と並び「動かない」ので有名だ。 一年中が帰省ラッシュの高速道路みたいなものだ。 俺はタクシーに乗り、できるだけ身を低くした。 マニラのタクシーは信号なるものを無視してくれるので有難いが、交通渋滞は呪わしかった。

悪態をつく俺に、タクシーの運転手は「近道を行っている」というが、どうも遠回りをしているように感じた。 しかし、遠回りをしても良い。 彼等にさえ見つからなければ、仮にタクシーにボッタクられたとしてもマニラのタクシー代なんて安いものだ。

結局4時間くらいタクシーに乗ったが、空港に着いた頃もまだ明るかった。 空港内でも、「追っ手」が来ていないか、気が気でならなかった。 何しろ4時間もタクシーに乗っていたのだ。 彼らが先に着いていてもおかしくはない。 素早くチェックインに向かい、席が取れた。 俺はロビーでウロウロするような事をせず、サッサと出国手続きをやった。

飛行機に乗り込んだ。 パイロットというのは少し天候が悪かったりすると、安全の為、飛行中止程度は平気でやる。 「よし、もし今日離陸しないなら、一番近くのホテルに泊まる。 そして朝一でマニラを出るぞ!」

しかし無事離陸した。 今度は香港にちゃんと着陸するか、だ。 香港でも天候が悪いと、下手すればマニラに引き返すこともある。 それだけは避けたい。 俺は雑誌を開いて見つめていたが、何が書いてあるのかは全く読んでいなかった。

そして香港に着陸。 俺は香港は大嫌いだったが、今回だけは空港の床にキスをしたかった。 しかし何故かすぐには自宅に戻る気がしなかった。

もう外は暗かったが、尖沙咀(チムサーチュイ…香港九龍半島の中心街) のKirinバーに行き、独りでガブガブビールを飲んだ。 Kirinバーを選んだのは、少しでも日本の近くにいたい、と思ったからかもしれない。

25歳の「オヤジ」
1で彼女に狂った俺は、2で騙されて、3で身包みを剥がされそうになった。 実際、3で全財産を失ったり、死んだりする日本人もいると言うから、俺は2と3の間を奇策(?!)ですり抜けた、と言えるかもしれない。 言ってみれば「2.5」(ドス・プント・シンコ)か。 しかし、その時はそんな事を考える気にもならなかった。 俺の「欲」はすっかり鳴りを潜めてしまったことを認めなければならない。

また、俺がマニラで借りていた家は賃貸だ。 俺が家賃を払わなければ、あの大家族は出て行かざるを得ない。 「ザマぁー見ろ!」と思う反面、電気も水も充分にない貧困生活に戻る彼らを気の毒にも思った。 大人達のワガママは自業自得だが、あの走り回っていた子供達には特に済まなく思う。

なにしろ(現在もそうかもしれないが)、マニラの一般市民の家では午前5時から午後1時くらいまでしか水が出ないという、厳しい給水制限があったのだ。 エルニーニョの影響と聞いたが、詳しい事は分からない。 彼女の住んでいた場所はマニラ郊外のケソンシティーの貧困地区、いわゆるスラムだ。

俺もメキシコでは時はドゥランゴやベラクルースの貧民地区に住んでいたから、彼らが住む環境はよく理解できた。 地面はアスファルトではなく、土。 大半の住まいは掘っ立て小屋に毛が生えた程度なので、強風が吹けば家は簡単に吹き飛ぶ。 想像が付きにくいなら、テレビに出てくる難民キャンプを想像すれば解り易いかもしれない。

週何度かの予告無しの断水や停電は当たり前。 また電力会社のミスでボルトが突然上がり、電気器具が破壊されることもたまにあった。 このように、メキシコとフィリピンは色んな面で似ている部分があるが、一日8時間しか水が出ない、というのはフィリピンならではだ。

フィリピンとメキシコは両方とも元スペイン植民地で、しかも両国ともアメリカへの依存度がとても高い。 国内のいい加減なインフラ整備も似ている。 「一体、スペインは何をやっていたんだ… 何を残していったんだ…?!」と思う。

しかし、決定的に違う面もある。 メキシコでは誘拐事件が起きても人質が殺されることは滅多にないが、フィリピンではよく人質が殺される。 また、メキシコの男は貧しくても誇り高く、飲み屋では他人によく酒を奢ったりする(「奢ってくれ!」と催促する男も結構いるが…)が、フィリピンではまずそういったことはない。

また、フィリピンのバス会社では、人を轢いてしまったら、バスをバックさせて止めを刺すと聞いた。 要するに証拠隠滅なのか、この話自体が本当なのかも判らない。 しかし他の人のフィリピン関係のブログを読んでも同じような記述があり、そのブログには「バス会社の運転手のマニュアルにそういった指導がある」とのこと。 まったく、フィリピンは、そしてアジアは奥深い所だ!

当時、俺は25歳。 その他にも頭で描いた「欲望」を満たすために、自分の思い付く遊びは全てやった。 フィリピンのような半無法地帯で、「いつ死んだっていいや。 このまま死んでもいいや」と考え、酒と女に、時には自分の収入以上の大金をつぎ込んだ。 初めは勢いが良くても、すぐシボンでしまうビールの泡のようにカネも愛情も全て消えていった。

普通なら50代・60代の助平オヤジがやるような事らしい。 タイやカンボジア、インドネシアでも同じ様に女にマンションを借りたりしたが、フィリピンの件で懲りて、テレビ以外は「備え付けの家具」だけで済ませた。 自慢できるモノでもないが、俺は50代・60代のオジさん達がやる事を、20代半ばで納得いくまでやった。 そのせいか、今では「愛人」云々には全く興味がない。

ともあれそのうち段々「男と女」のゲームに飽きてきた。 デートも面倒になり、約束をスッポかしたりした。 またマンションを放棄する為に女性達には別れの手紙を書いた。 「ごめん、俺はもうマンションには戻らないから来月の○日までには引き払ってくれ。」といった内容だったと思う。 そしてそのうち「もう恋人とかは要らない。 結婚も要らん。 一生、独身で良いよ」などと考え始めた。






僕が客室乗務員だったときの話 | Comment(1) | TrackBack(1) | 香港 ☀