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Jose

2006年08月14日

僕が客室乗務員だったときの話 ■第7章全文■CA内部の世界


■第7章全文■

CAの世界への招待


ちょっと怖い人達

航空会社にいた時に俺が訪問した国の数は、公私合わせて70ヶ国位あると思うが、控えめに見ても50ヶ国は下らないと思う。 この「本」は「旅行ガイドブック」ではないので、それぞれの国の観光地を紹介するような野暮なことはしない。 そんな情報は他のホームページやガイドブックなどからでも充分手に入るからだ。 ここでは航空会社やCAの内情等に焦点をおくが、彼らを通じて現地がどのような国か垣間見ることはできると思う。

「お前はヨーロッパ人ではない」
前述の「打ち合わせ」の部分でも書いたように、打ち合わせ(ブリーフィング)ではまず必ず自己紹介をする。 「こんにちは。 私は日本から来た△△です。」と簡単な自己紹介だ。 しかし、こんな簡単な自己紹介でも失敗する者がいる。

当時ポルトガル植民地だったマカオで生まれため、ポルトガル国籍という新人スチュワーデスがいた。 顔はどっから見ても中国人だ。 しかし自己紹介で「私はポルトガルから来た○○です。」という。 チーフパーサーはそれが気に入らなかったらしく、

チーフパーサー: 「あなたはポルトガル語を話せるの? 名簿にはあんたの母国語は『広東語』と書いてあるわよ。」
マカオ生まれの女: 「いえ、あの… ポルトガル語は話せません」
(他のCAからの失笑)
チーフパーサー: 「だったら、『ポルトガルから来た』っていうのは違うわね。 マカオがポルトガル植民地ってことは確かだけど、植民地は植民地よ。 マカオはポルトガルじゃないわ。 出身地はマカオか、マカオが嫌なら香港、って言えば!」
(他のCAからの笑)

この後、フライト中に他の先輩スチュワーデスからしつこく嫌味を言われたりして、彼女は大変な思いをしていたようだ。 「私は国籍がポルトガルだから、そのまま言っただけよ。なのに、なんでこんなにイジメられるの?」と俺に愚痴を言っていた。 男の俺には言い易かったのだろう。 それから数ヵ月後、彼女とまた一緒に飛ぶ機会があったが、その時は「香港から来ました」と言っていた。

「キョーコ(仮名)」って日本人?
打ち合わせ中の自己紹介で「シンガポールから来た『キョーコ(仮名)』よ。」というチーフパーサーがいた。(実際、彼女のフライトでの名前は「キョーコ」に非常に近く、このフライトでの名前はいわば「芸名」のようなもの。 「芸名」とは言え、会社内では本名と同じような効果を持つので、彼女のプライバシーを守る為に少しだけ変えて「キョーコ」にしておく。 ちなみに日本人でこの「芸名」を持つ者は皆無だが、華僑を始めとする殆どのこの航空会社のCAはこの「芸名」を持っている。)

俺はてっきり聞き間違えたのかと思った。 シンガポールではなく、ジャパンかと思ったのだ。 顔も色白の東アジア系で、口を開かなければ日本人と間違わないこともない。 俺は何も考えずに彼女に「日本人ですか?」と聞くと、彼女はムスッとして、「いえ、シンガポール人よ」といい、その後は口を利いてくれなかった。

後で、他のスチュワーデスから聞いたところによると、彼女は以前日本人の恋人がいたらしい。 その時彼氏に付けてもらった名前が「キョーコ」なのだと。 今じゃ大した魅力もないが、昔はかなりの美人でモデルの経験もあった。 しかし彼氏に捨てられて、性格がひねくれて、今ではあんな意地悪なチーフパーサーになってしまったらしい。 

モデル経験の真偽はわからないが、確かに彼女は名物チーフパーサーだった。 俺は勤務中ずっと無視されて、それなりに嫌な思いをしたが、俺はカナリ軽く済んだ方らしい。

俺みたいな質問をしたスチュワーデスはみんな「地獄」を見たそうだ。 他のCAの話によると、ある事ない事デッチ上げて、会社に報告されたり、ツネられたり、蹴られたりしたらしい。

また、他の下っ端スチュワーデスの場合は現地に着くなり呼び出され、「みんなで一緒に出掛けよう」と誘われた。 ホテルのロビーに集まったところで、同僚の前で嫌味をしつこく言われた。 泣くまで罵倒し続けたらしい。 それで泣き始めると、「泣くような人は連れて行けないわね!」と置き去りにしたそうな。

俺が「キョーコ」の元で仕事をした当時、彼女には新しい「恋人」がいた。 同じシンガポール出身のスチュワードだが、歳は10歳以上も若い男だった。 その「恋人」も「キョーコ」と呼んでいた。 父親から付けて貰った名前ならまだしも、昔の男から貰った名前を呼ばねばならない「現在の恋人」の気持ちの複雑さはいかばかりであったろうか? 普通の恋人同士なら、「昔の恋人のつけた名前」で呼ぶことには当然抵抗があるだろうし、通常そのようなことは許されない。 しかし、ここは「特殊」な会社だ。

忘れてはならないのは、彼女は「チーフパーサー」で、しかも「普通のチーフパーサー」ではない。 物凄く「怖い」チーフパーサーだ。 CAにしてみれば一番「味方にしたい」タイプだ。 何かあった時は、色んな人に口が利けるので、これは心強い。 事実、彼は同僚や上司と問題があると、「俺はキョーコの彼氏だ」とスゴんでいた。 「水戸黄門の印籠」・「ヤクザの金バッジ」みたいなものだ。

しかし、彼の恋人「キョーコ」の保護にも限界があったようだ。 彼は窃盗で逮捕されもちろん解雇、その後シンガポールへ強制送還されたらしい。 その後、キョーコを何度か見かけたが、少し寂しそうに見えた。 もう一度彼女と仕事をする機会があったが、その時は彼女は割りと親切に接してくれた。 ちょっと嬉しくてそれを同僚に言うと「それはあなたが男だからよ」と言葉短に返された。 考えてみればそんなことを口にした俺も愚かだったか…

密告制度 “I’ll report her to the ‘office’!”
俺はそもそも「遊びガネを儲けるため」だけにこの航空会社にいたから、「通報」などという「復讐」は面倒なのでやった事がない。 「あいつが憎い」など考えて「通報書」を書いたところで、そんな書いている時間が勿体無かった。 そんな事してる暇があったら、酒と女に溺れ、オモしろオカしく余暇を過ごした方が良かった。

しかし、通報したことはなくても、通報された事は2度ある。 一度目は入社一年後の避難及び応急処置訓練に不合格だった時。 もう一つは「サボっている」との誤解を受けた時。

確か南アフリカのヨハネスブルグから香港へ帰国中のフライトだったとおもう。 長いフライトなのでCAには仮眠時間が与えられた。 俺は例のごとく「眠れない」ので、CAの作業所(ギャレー)で読書などをしていた。 突然、客の一人がやってきて、「私のお父さんが大変なんです。 来てください」という。 さっそく行ってみると、中国人の老人が呼吸困難を起こしていた。 酸欠だ。

俺は酸素ボンベを取り出し、老人にマスクをつけ、ずっと老人の傍にいた。 常識で考えてもそうだが、社内応急処置規定では、酸素ボンベなどをつかい、乗客に酸素を与えている間は、その乗客の状態を注視するのと同時に、酸素ボンベの酸素残量も確認し続けなければなからない。 1時間以上その老人に付き添い、容態は回復した。

「酸素ボンベを使った」という報告書を書き終えた位の時間に俺の「仮眠時間」は終わり、着陸前のサービス等の準備に入った。 そして、無事に香港に到着し、俺は空港で着替え、その足でタイ・バンコクに遊びに行った。

バンコクから戻ると、「事務所に来い」という連絡があった。 何かと思って事務所に行くと、「お前がサボっていた、との通報があった。」という。 俺が諸事情を説明した。

「俺は自分の仮眠時間を潰して応急処置に当たった。 しかも老人の呼吸困難の処置だ。 もし疑うなら酸素ボンベを使った報告書もあるはずだから、調べてもらってもいい」

しかし、その「カウンセラー」曰く、俺が酸素ボンベを使ったことなんてどうでもいい、という。 大切な事は仲間との協力だ、云々の説教を始めた。 俺は頭に来たが、「ハイハイ」と適当に聞き流した。

この通報は、俺のことを嫌ってのことか、それとも単なる誤解だったのかは判らない。 ただ、世の中理不尽な事はいっぱいあるので、これもその中の一つか、と諦めるしかなかった。 しかし、その他にも女性下っ端CAで「爪が長い」という理由で、通報され、長時間説教を受け、泣くまでイビられたりなど、こういった類の話はこの航空会社では当たり前だ。 こういった事がCA同士の「主な話題」、といっても良いだろう。 こういったストレスに耐えられず、辞めていったCAも多い。

下っ端CAの「復讐」
こういった「不敬」や「誤解」で下っ端CAがイビられるのは日常茶飯事だが、下っ端CAもやられてばかりではない。

会社内には一人一人郵便受けがあって、会社からの知らせや外からの手紙、CA同士の連絡に用いられた。 そしてイビられたスチュワーデスが、恨みを持つ上司の郵便受けに自分の糞を入れる、という事件が時々起きた。 他人には笑い話だが、本人にとってはたまったものではないだろう。

こういった事には会社は厳しく調査し、時々犯人が捕まった。 会社に入るには社員証を電子スキャンして入るため、会社の中に誰がいるのが判る。 そこから割り出し、被害に遭った上司CAと一緒に飛んだ者を割り出し、尋問するのだ。 こういった犯行は人が少ない時間帯に起きるので割り出し易い。 しかし、上司にも心当たりがなければ本人を特定することはできないのだ。

ここまで恨まれるような事をする上司CAにもよほど問題がある、と会社の方も考えたようだ。 下っ端CAや組合の要請で、下っ端CAも上司を「通報」できる社内規則ができた。 以前、「通報」は上司CAの特権だったが、その特権は下っ端CAにも与えられるようになったのだ。

こうして、知らぬ間に会社内での「密告制度」が完成し、CA同士の不信感はいっそう高まった。 俺には本当に息が詰まるようだったが、中国に返還された香港の会社ならではだなぁ、と妙に納得した。

実際に俺の同僚スチュワーデスでも「やっとこれであのババァを通報できる」と、自分の上司を通報できることを喜んでいたので、こういった制度に向いている人もいるのだろう。 しかし「郵便受け人糞事件」はその後も時々起きた。

スチュワーデス同士の「陰の戦い」
その他にも上司・部下、そしてスチュワーデス同士の「陰の戦い」はいつも耳にした。 機内のどことは言わないが、スチュワーデスは自分のハンドバッグを極めて無用心な場所に置く。 CAは皆そのことをよく知っているので、見つけるのは簡単だ。

勤務中に、嫌いなCAのパスポートを盗み出して捨てたりする話は時々聞いた。 パスポートが滅茶苦茶に破られ、トイレに捨てられていたらしい。 他にはカネを盗んだり、同僚CAのパスポートやICAOカードをブラックマーケットに売ったりした話。

財布に入っている程度のカネはまた稼ぐことができる。 しかしパスポートやICAOカードはCAの命、とも言えるものだ。 前にも述べたが、特に世界中の空港を出入りできるICAOカード。 これを再発行してもらうのは、パスポートの再発行のように簡単にはいかない。

この航空会社には男が少ないので、男同士のこういった「陰の争い」は聞いたことがないし、男がここまでの被害に遭った、という話も聞いたことがない。 しかし、俺自身にも香港人同僚スチュワードと機内でトラブルが一度あった。 ニュージーランドのホテルに到着後、腹が立って眠れない俺はその男の部屋に向かい、ドアを静かにノックした。 ドアが開くと、俺はその男に腹を立てている理由を述べ、胸倉を掴んで突き飛ばした。 しかし、相手にも「男の意地」があったのだろう。 通報はしなかったようで、何事もなかった。

この航空会社のような女だらけの会社では、男を怒らせても、女を怒らせてはいけない。 男は最悪でも胸倉掴んで突き飛ばすだけだが、女のやることは男には想像も付かない。 用心用心…!



「窃盗物語」


前述にも挙げたように、社内の物を盗むことをこの航空会社では「タッパウ」という。 広東語から来たらしいが、あまり英語が解らないCAはこれを英語の単語と思い込み、社外でも使う者もいる。 ただ、「タッパウ」はあまりにも日本人には馴染みがないので、解り易く「窃盗」と呼ぶことにする。

俺が入社した頃は、窃盗はたいして大きな問題ではなかった。 日本人の男を雇える位、当時の会社の景気は良かったので、規則では決まっていても調べることなど殆どなかった。 ところが1997年のアジア金融危機は始まると事態は一転する。 といっても本当に厳しくなったのは翌年の1998年の中頃。 アジア金融危機とは、簡単に言えばアジアの通貨の価値が極端に下がり、東南アジアや韓国の経済が一時破綻寸前にきた時のことを指す。

1997年7月1日に香港は中国に返還され、式典ではイギリスの古典的な軍艦が香港から去っていく、などの催し物が行われた。 タイバーツが暴落したのは翌日の7月2日で、それが飛び火して韓国、マレーシア、インドネシアなど、アジアの新興国の通貨も暴落した。 もっとも深刻になったのは翌年の98年だ。 これが「アジア金融危機」と呼ばれるものだ。

日本からの観光客も激減し、機内食は量、質共に低下した。 なぜか機内食のトレイ(おぼん)まで変わった。 昔の頑丈なおぼんから、壊れ易い粗悪なおぼんに代わったのだ。 カートの中に使用済みのおぼんを入れる時、スムーズに入らないことが多い。 よってCAは無理やり押し込んだりすることが多いが、昔のおぼんならそんなに簡単には割れなかった。 しかし新しい、粗悪なおぼんはよく割れた。

カートが上手く閉まらないときは扉に強く蹴りを入れるときもある。 カートを収納する時は足を使うように指示されているので、強く蹴りを入れるなどは当たり前のことだ。 その時にカート中のおぼんが割れようが、そんなことはCAの知ったことではない。

モチロン、滞在先のホテルももっと安いホテルへと変更になった。 福岡滞在時のホテルは同じだったが、以前は飲み放題だった部屋の飲み物が「ビール」から「発泡酒」に代わる、などこの航空会社の涙ぐましい経費削減への努力がうかがえた。

こういったホテルやサービスのレベルダウンに不満を漏らすCAは多かったが、俺個人としては別に不満はなかった。 メキシコではホームレスの経験もしたため、ホテルに泊まれること自体が俺にとっては有難い事なのだ。

しかし、「窃盗」に対する調査は厳しくなり、物を盗んだことのない俺でもビクビクするような検査が行われるようになった。

変わらない「盗癖」
盗癖といって思い出されるのが、昔、中国の儒教家「墨子」という人のエピソードだ。 当時、「楚」という大国が小国「宋」を攻撃し、占領を計画していた。 墨子はそれを思い止まらせるために「富める者がそれ以上欲しがるのは盗癖があるからだ。 豊かな楚が小国宋を奪おうとするのもそれと同じだ」と楚の王を説得したとされる。

よくある、お決まりの中国の「高尚」な道徳観を説くエピソード。 ロマンはあるが、現在の中国の実情を見ると昔のロマンなどは一カケラも見られない。

中国はあれだけ広大な領土を保有しながら、台湾を欲しがり、チベットを欲しがり、ウイグル自治区を欲しがる。 尖閣諸島のようなあんな小さな島までも欲しがっている。 墨子が今の中国の現状を見たら、アメリカか日本あたりに逃亡・亡命して、民主化活動でもしていることだろう。

この華僑の航空会社での窃盗において、罪悪感を持つ者は極少数だった。 「自分の生活で精一杯だ。 だから道徳なんて、細かい事は気にしてられない。」

世界で3番目に広大な領土を保有する中国と、世界に広がる華僑ならではだ。 実に大陸的で、「おおらかな気質」を象徴している。 よって、自己のサバイバルに必死な華僑に、道徳心を求めるのは難しい。

シンガポールは厳しい刑法で有名だが、シンガポールは華僑が作った国。 建国当時のリーダーはイギリスで大学教育を受けた「リー・クァンイゥ」という華僑だが、刑罰を厳しくしないと華僑は誰も守らない、道徳心に任せることはできない、ということを彼はよく知っていた。

この航空会社もシンガポールのように、こまかな「刑法」を作った。 フライトが終わると地上係員が待ち構え、CAのバッグを一つ一つ調べる、などの厳重なチェックが抜き打ちで行われるようになった。 

そもそも機内の物を、誤って持って帰ってしまうことはよくあることだ。 自分で買ったものを会社のロゴの付いたゴミ袋に入れて持ち帰ってたり、ロゴの付いた歯ブラシを使った後、そのまま持ってたりすることはよくある。

普通の会社ではこの程度のことは「窃盗」として扱われることはない。 しかし、こういった物を自分のカバンに入れていただけでもこの航空会社では「窃盗」となり、現実にこういった事が原因で解雇される者もいた。 だから、本来なら機内の物を意図的に持って帰ろう、なんて発想は起こらないはずだ。

しかし、ここまで窃盗に対する規則が厳しくなっても、盗み続ける奴は大勢いた。 この航空会社でなら、大半はやっていたと思う。 ここまでルールが厳しくなってもまだ盗み続けるとは、やはり盗癖があるに違いない。 彼等の育ち方、受けた教育などもやはり「自己のサバイバル」が中心になっていたのだろう。 「迷惑を掛けるな」と教えられる日本人とは正反対の教育だ。

ありきたりの窃盗はどこの会社にもあるだろうが、多国籍・多人種・国際線専門この航空会社ならではのダイナミック(?!)な窃盗があるので、これからそれを挙げていこうと思う。

金色のお風呂
地上スタッフは、飛行機が降りてくる度に、機内の物で何が足りないかをチェックし、その分の補充をする。 日本線では日本人が大量にビールを飲み、ヨーロッパ線では大量にワインが消費される。 こういった線ではビールやワインが全部無くなっていても不思議ではない。 満席の場合は特にそうだ。

しかし、その他の線で、しかも満席どころか席はガラ空きなのに、ビールが全部なくなっている、となるとこれは問題だ。

会社が調べたところ、これらの線には同一のスチュワーデスが乗っていた。 彼女を尋問してみると、彼女は毎フライト、エコミークラスにある缶ビールを全部自分のカバンに入れ、ホテルや自宅に持ち帰り、「ビール風呂」に興じていたらしい。 モチロン彼女はクビだ。

ビール風呂。 文字通りビールでできた風呂で、美肌効果があるらしい。 ドイツやオーストリアなどで人気があるらしく、ビール酵母に含まれるアミノ酸やビタミンで皮膚病などにも効くそうな。

それにしてもそのスチュワーデスは、風呂場で缶ビールを一つ一つ開けて、時々それを飲んだりしながら、湯船にそれをどんどん注いで、「今日はこの前よりちょっと少ないな」などと思っていたのだろうか… ビールだけじゃ寒いからと、お湯を付け足して、その後ビールの香りが充満した風呂場で湯船に浸かりながら、至福のときを過ごしていたのだろうか…

マニラの一喫茶店
ビール事件と同じ様な形で、機内のコーヒー等が大量に盗まれる事件もあった。 喫茶店やレストランなどで勤めた事がある人なら解るかもしれないが、大量にコーヒーを消費する店ではあらかじめ袋に入った業務用のコーヒーを使うことが多い。 この場合、盗まれたものは業務用コーヒーだけでなく、紅茶やアイスクリームまで盗まれていたそうだ。

それで調べてみると一人のフィリピン人スチュワーデスが浮上。 尋問すると、なんと故郷マニラで喫茶店を開いていた、と言うのだ!

この航空会社ではエコノミークラスに置いてあるアイスクリームはハーゲン・ダッツ。 知らない人(たぶんみんな知っているとは思うが、俺自身はこの航空会社に入るまでは知らなかった)のために書いておくが、日本でならスーパーやコンビニなどにも売ってある、ちょっとした高級(?!)アイスクリーム。 値段が普通のアイスクリームより何倍も高いので、ケチな俺はハーゲン・ダッツをこの航空会社以外で食べたことがない。 (格別に美味しいとも感じないので、わざわざカネを出してまで買おうとも思わないが…)

フィリピンでは見たことがないが、あるとすれば日給500円の一般市民には手の届かない代物だろう。 この航空会社の泥棒スチュワーデスにしてみれば、仕入れ値は「無料」。 安く売ればみんな跳び付くに違いない。

このスチュワーデスは「私はどうせこんな航空会社なんて辞めて、自分の喫茶店経営の方に集中するつもりだったから、別に気にしてないわ」と開き直っていたらしい。 さて、自分の経営する喫茶店の店員が同じ様に「窃盗」を働いたら、彼女はどのくらい理解を示せるだろうか?

ハーゲン・ダッツのアイスクリームを持って帰るCAは他にも大勢いる。 家に帰るまで溶けないように、ドライアイスを入れる、という「手際の良さ」だった。

国際便でテレビを
これまでの窃盗が「小規模」で「長期的」なら、今回のは比較的「大規模」で「短期的」なものか。 ヨーロッパのホテルで大型テレビがなくなる、という事件が起きたらしい。 今度は男、スチュワードの仕業だった。

この男は香港出身だったと思うが、滞在先のホテルの大型テレビをそのままモギ取り、ダンボールに詰めて、自宅に送ったとの事。 逮捕時、盗んだ理由を尋ねられると「自宅のテレビが小さかったから」と証言したらしい。 しかも、盗んだ大型テレビはホテル仕様のものだったらしく、香港の自宅では映らなかったとか。

こんな大きな物を盗んでバレる、とは思わなかったのだろうか? ホテルの部屋にある石鹸とか歯ブラシ程度ではバレることはないだろうが… それにしても、せっかく高いリスクと送料を払って手に入れた大型テレビが映らなかった、とはさぞかし残念だったろう。

ゴミ箱に残された毛皮
これは窃盗ではないが、スイスで起きたできごと。 この航空会社のCAが宿泊するホテルのメイドが部屋を掃除に来たら、ゴミ箱の中に見慣れぬものを発見。 動物の毛皮だった。

毛皮といっても毛皮のコートやハンドバッグではない。 血の付いた小さな毛皮だった。 そして毛皮と一緒にあったのは骨。 これも血の付いた骨だ。 驚いたであろうメイドはホテルの上司に連絡。 現地の警察が来て、この航空会社の現地職員もやってきた。

調べた結果、これはウサギであることが判明した! 香港人スチュワードが現地の野ウサギを捕まえて、自分の部屋で料理し、食べたのだ。 俺が覚えている限り、この航空会社のCAが泊まるホテルで料理ができるのは、カナダのバンクーバーにあるホテルだけだ。

この航空会社がスイスで宿泊する所はチューリッヒ。 そこのホテルの部屋には料理する場所はない。 タブン、料理といっても、ウサギの体をバラバラにして、生で食べたのだろう。 スイスの「動物愛護法」に類する法律により、罰金刑を喰らったらしい。

不思議だったのは、この航空会社のCAが泊まるチューリッヒのホテルは中心街にあるので、野ウサギなどを見つけることはできないのだ。 しかし、電車で2・3時間行けばスイスには「大自然」がある。 そのスイスの大自然とたわむれ、野ウサギを捕まえたのであろうか… どうしてもあの「アルプスの少女・ハイジ」の音楽が俺の頭の中を流れてしまう。

ウサギを食べたことについて、俺はとやかく言うつもりはない。 食物連鎖だ。 世界の多くの国々ではウサギを食べる習慣があり、俺も食べた事がある。 鶏肉のような食感で、中々美味だ。 ただ、食べるなら、自宅で火を通して食べた方が良い。 それにしても、ゴミ箱には骨だけ残しておけばバレなかったろうに…


CAのパリでの「副業」


初めてのパリ
俺が初めてパリに行ったのは、CAとして飛び始めて一年位した後だったと思う。 始めて行ったパリは新鮮だった。 なにしろ「本物のフランス語」を話してる! フランスでフランス語を話すのは当たり前だが、俺はそれまでアメリカやメキシコなどの非フランス語圏の学校でしか勉強したことがない。 つまり、俺にとってはフランス語を実践できる初めての場所、として感動的だった。

ご多分に漏れず、エッフェル塔・凱旋門・ルーブル美術館などを訪れた。 エッフェル塔にはエレベーターがあり、その入り口からは信じられないほどの長蛇の列があった。 俺は昔から列に並ぶのが嫌いだし、高い所にはいつも昇っていた(!)ので、初めから昇る気はなかった。 ヒットラーの侵攻など、色んな歴史を刻んだエッフェル塔なのに、何も感じなかった。 ただのデカイ塔だ。

正直、パリ市内のどの観光地に行っても感動しなかった。 高いカネを払って入場したルーブル美術館だったが、1時間ほどで出て行った。 俺には美術センスがないからだろう。 高額な入場料と時間と労力を無駄にした気がした。 出て行った後は、ルーブル美術館の近くにあるラーメン屋でラーメンを喰った。 客のほとんどは日本人だった。 夏だというのに、暑苦しいスーツを着た日本人もいて、少し滑稽に見えた。 南半球と勘違いしていたのだろうか? パリ市内はツマラなかったので、郊外に目を向けた。

フランス語で書いてある見難い地図を隅々まで見ると、Château de Versailles。 これはベルサイユ城… ベルサイユ宮殿のことか! しかも距離はそんなに遠くなく、電車で1時間も掛からないらしい。 さっそく次の日、東京並みに解り難いパリの電車に乗り、郊外のベルサイユ宮殿に向かった。

ベルサイユ宮殿は感動した。 ちょうど、その当時はレオナルド・デカプリオ主演の「仮面の男」という映画が上映されており、物語の舞台はベルサイユ宮殿だった。 映画で見たとおりの美しい宮殿だった。

「これこそフランスだ!」

観光客が凄まじく多かったが、日本人はそれほどいなくて、台湾人や韓国人が多かった。 韓国人観光客は「地球の歩き方」そっくりの本をみんな持ち歩いていて、俺は「韓国にも似たような本があるんだ」と思った。 だが、のちにあの本は「地球の歩き方」の単なる韓国語訳だということが判った。

ベルサイユには大きな大学があり、その大学を中心に機能している街だった。 喫茶店があり、学生が談笑を楽しんだり、教科書らしきものを読んだりしていた。 しかし、学園都市の割にはレストランはどこも高かかった。 レストランだけは観光客向けなのだろうか? それとも大学自体が金持ち向けなのだろうか? それに本屋の数が少なかったのも不思議だった。

ともあれ、ベルサイユで感動した俺はさっそく両親に絵ハガキを送り、喜びを伝えた。 俺はベルサイユにもっと来て、ここでフランス語をマスターしたい、と思うようになった。

この航空会社のCAは入社後、社内にある「フランス語検定試験」を受けることができる。 その試験に2級以上で合格すれば毎月パリ行きのフライトに乗れるのだ。 俺はアメリカやメキシコにいた時にフランス語を2年間ほど勉強した事があるが、発音も文法もメチャクチャだ。 しかしせっかく途中までやった事なので、この航空会社にいる間はマスターしようとフランス語学習を再開した。

今はどうか知らないが、当時この航空会社であった言語の「検定試験」はフランス語だけだった。 なぜ、フランス語だけなのか? この航空会社ではフランス語を話せる者は非常に少ない。 華僑の会社なので、北京語検定、もしくは広東語検定。 日本線はこの航空会社の「稼ぎ頭」だったので、日本語でもおかしくない。 マトモな英語を話せるCAが非常に少ないので、「英語検定」が一番必要か?!

しかし、なぜかフランス語検定しかないのだ。 俺のようにベルサイユのような場所で感動する者が多いからか? 本当に不思議だったが、しばらくしてこの「パリ線」がなぜこんなにも人気があるのかを知った。 本当に、本当に意外な理由だ。

「フランス語検定」
初めてのパリ線から香港に戻って、フランス語検定について会社に聞きに行った。 検定は面接だけらしい。 この試験に合格すれば、毎月のパリ線は「義務」になり、変更はできないという。 会話には全然自信がなかったが、一応受けてみることにし、面接の予約をした。

このことを先輩日本人CAに話すと、「やめといた方がいいよ。 毎月パリに行くのはシンドいし、絶対飽きるって。 私の友達もパリ線が毎月入ってるけど、変えるにも変えれない、って言ってるもん」との答え。 なるほど。 でも俺はフランス語をマスターしたい。 ベルサイユ宮殿にも毎月行きたい。 俺はフランス語検定を受けることにした。

面接官はフランス人ではなく、確かアメリカ人だったと思う。 まずはフランス語で簡単な会話をした。 そのあと、文を読むように言われた。 俺の自己評価では100点中の5点くらいだ。 てんで駄目だった。 しかしなぜか2級合格。 おそらく誰でも2級は合格するのだと思う。 しかしその試験官曰く、「もっと下手な奴がいる」と。 俺はちょっと自信を取り戻した!

俺は社内で「フランス語話者」として登録され、スケジュールには毎月パリ線が入るようになった。 そしてゲップがでるほどパリに行くようになった。

西欧人の優越感
かつて夏目漱石はイギリス留学中に大変な差別を受け、「ロンドンは憂鬱な所だ」と失望して日本に帰国したらしい。 また、イギリス男と結婚した日本人女性が、夫の家族からの差別で精神的におかしくなった、といった話も聞いた事がある。 俺の場合はイギリスより、フランスだ。

パリに毎月行くようになり、数ヶ月もするとベルサイユ宮殿にも本当に飽きてきた。 俺から見たらフランス人の「高慢」な態度も気に入らない。 食い物も俺の好みではない。 フランスパンはどこで食べても、硬くて食べられたものではない。

Pigaleという、日本の歌舞伎町のような風俗街があるが、飲み代が異常に高く、基本的にロンドンのSoho同様、ボッタクリパブばかりのように見えた。 しかし、パリ線は容赦なく毎月入る。 どうにかならないものか、現地に女でもできればパリに行くのも楽しくなるかもしれない、などと俺らしい事を考え始めていた。

「別のヨーロッパ諸国にも行ってみよう」とパリに着くなり、そのままスペインのマドリッドに行ったこともある。 しかし、マドリッドはパリよりも嫌な所だった。 俺はメキシコに住んでいたため、スペイン語には不自由しない。 それにメキシコが大好きな俺は「スペイン語圏の人はみんな友好的」と勝手に思い込んでいたため、スペインでの失望は一層大きかった。 フランスでの差別は陰湿で間接的だったが、スペインではもっと露骨だった。

マドリッド市内のあるレストランでは、ウェイターが面倒臭そうにメニューを上から「ポトン!」とテーブルに投げ落として、去って行った。 俺はテーブルをひっくり返して暴れてやりたかったが、ここは「外国」だ。 10代の頃は「差別」というと喧嘩ばかりしていたが、20代半ばになって同じ事を繰り返したくない。 差別は海外生活では付き物だ。 俺は何も注文せず、店から出て行った。

スペインにはメキシコやエクアドルからの出稼ぎ労働者がいて、彼等とよく話した。 雰囲気や訛などからラテンアメリカ人とすぐ判るし、何より彼等は顔が「インディオ」だ。 話してみると、彼ら有色人種への差別はかなり酷いという。 暴力を受けたこともあるらしい。

スペインはメキシコとは違い、「植民国」「宗主国」としての歪んだ誇りがあるのだろう。 たった一週間の滞在だったが、ラテン人特有の人懐っこさや陽気さはスペインでは一片も見ることができなかった。 言語は同じでも全く違う国なのだ。 スペインはヨーロッパであり、ラテンアメリカとは似ても似つかない。

試しに電車に乗ってベルギーにも行ってみた。 首都ブルッセルはパリに比べれば小都市だったが、人間的には俺から見たら大差はなかった。 ヨーロッパ人、特に西欧人のアジア人に対する優越感は絶対的だ。 パリ線だけでなく、全ヨーロッパ線が一番嫌になってきた。 始めの頃は一番楽しみにしていたものだが。 アジアには好きな国はたくさんあるが、今でも残念ながら西ヨーロッパにはタダでも二度と行きたいとは思わない。 いい勉強になった!

「儲かる」パリ1
パリの街はマスコミがいうほど、綺麗でないし、パリの人間のファッションも大した事はない。 ほとんどが安っぽい服を着て、粗末な靴を履いている。 まだ、俺の地元の熊本や福岡の女の子の方がオシャレだ。 地方都市だからだろうか。 大都市東京ではみんな好き勝手な格好をしているが、九州では女の子が出掛ける時は「制服」かのように、みんな同じファッションで「キメて」いる。

パリ人があんな安っぽい服を着ているのも、一つは収入が低く、物価や消費税が高いからだろう。 ロンドン人の服装はもっと安っぽいが、安い服で我慢せざるを得ないのはヨーロッパ全体に共通することだ。 バカ高い消費税を課して、福祉に莫大なカネを掛け、国民を実質的に貧しくする。 こんなヨーロッパのやり方は、社会主義そのものだ。 日本もこれ以上、「福祉」のために「消費税」を上げたりするなら、旧ソ連のようになってしまうのではないか。

日本国内のブランドショップなら客は当然日本人ばかりだが、パリやローマのブランドショップではヨーロッパ人を見たことはほとんどない。 「日本人はブランド好き」、というイメージがあるが、もし日本が貧しい国だとすれば「ブランド好き」にはなれないだろう。 経済的に豊かなら誰でもブランド物を欲しがるものだと思う。 ヨーロッパ人が自分の国にあるブランドショップで買い物ができないのは、経済的に苦しいからなのだ。

毎月パリ線が入るようになって1年ほど経ち、ヨーロッパに本当にウンザリしてきた。 その頃、同じパリ線で仲良くなった中華系マレーシア人の男が、「パリに行ったらちょっと儲ける話があるんで、一緒に行かないか?」という。 話を聞くと、現地でブランドを買い漁り、それを香港に持って帰って手数料を頂く、というもの。 どういうシステムなのかを詳しく聞こうにも、彼自身初めてやるのでよく解らないという。 彼とはのちに俺の親友となり、俺が辞めて、日本に帰ってきてしばらくたった今でも連絡を取り、時々会っている。 彼のことは「T」と呼ぶことにしよう。

次の日の朝、彼と一人の香港人の男の3人で指定された場所に行った。 場所はパリ中心街の中華料理店だった。 そこには10人くらい集まっていて、全てこの航空会社のCAだった。 しかも全員華僑のCAだ。 そこに一人、人相の悪い男が現れた。 その男もマレーシア華僑とのこと。 「大物」といった感じではなく、いかにも陰でコソコソ悪い事をやっており、薄汚れた「小物」の雰囲気を醸し出していた。 だからこの男のことを「小物」と呼ぶことにする。

「小物」は、そこにいるのがみんな華僑と思っていたらしく、中国語で話し始めた。 何を言っているのか解らなかったので、「T」に訳してもらっていたが、「小物」はやがて俺が日本人であることを知り、最後の方になって英語に切り替えた。 強いマレーシア訛の英語で解り難かったが、俺が「日本人」ということが便利だと思ったらしく、「日本人はイイ! 日本人はこの商売で一番上手く行くと思うぜ!」と喜んでいた。

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「儲かる」パリ2
流れとしてはこうだ。

1.まずは「小物」がCAにカネを渡す。 そしてCAがブランド店に行き、ブランド品を買い漁る。 お釣りはその日の終わりに「小物」に返す。

2.そしてフランスから出国する時、ブランド品を免税申告する。 フランスやイタリアなどの国では、ブランド品は免税で、「ブランド店」で買った時に払った税金を、出国の際に現金で返して貰える、というシステムがあるらしい。 出国の際に返して貰う税金が俺達への報酬、となる。

3.そして香港に戻った時、このブランド品を「小物」または「小物の仲間」に渡す。 後で知ったことだが、こういったブランド品は主に日本に流れて行くらしい。 フランスで安く手に入れたブランド品は、日本では何倍もの値段で売れるらしいからだ。

日本語では、こういった連中の代わりにブランド品を買う者のことを「バイヤー」と呼ぶらしいので、この「バイヤー」という言葉を使うことにする。

「儲かる」パリ3
「小物」の話によると「買い物」すること自体が中々上手く行かないらしい。 こういったブランド店では店員の方がはるかに強く、客は半分犯罪者扱いだ。 入店時点でまず怪しいと思われたら、有無を言わさず追い出される。 そして同じ店で2度買い物はできないし、あまり大量に買い物ができない。 俺達のような怪しげな「バイヤー」がいるため、ブランド店は誰にでも売れるわけではないのだろう。

この話を聞いて思ったのが、先ずこういった事は違法性が高いのではないか、ということだ。 きちんと税金を払っている貿易商ではなさそうだ。 俺達のような部外者を使ってコソコソやってること自体が、この連中のやっていることの違法性を現している。

そして、次に思ったのが、「小物」がCAにカネを渡した後、そのCAがその現金を持って逃げた場合や、買い物をしても、香港で引き渡さなかった場合、どうなるのだろうか? そう考えた場合、この「小物」の正体が見えてくる。 こいつは華僑の暴力団員なのだろう。 しまった! とんでもない奴と関わったものだ!

話を聞いてしまった以上、「俺はもう抜ける」なんて言えないような雰囲気になってきた。 「秘密」を知った以上、もう後には引けない。 もし後に引いたら、口封じに… もうやるしかないだろう。 しかし次々と不安は頭をよぎる。 もし買ったブランド品を、ホテルのメイドが盗んだらどうしよう… もし空港のスタッフが俺のスーツケースを失くしたら… もし買ったブランド品を誤って傷つけたりしたら…

そうこうしてる内に、「小物」の話は終わった。 みんな俺と同じ恐れを抱いてか、それとも目先のカネに目が眩んでか、「抜ける」者は一人もいなかった。 「小物」は一人一人に希望する金額を聞き、一人当たり10万円から20万円ほど渡していた。 俺には「お前は日本人だから、かなりいけるだろう」と80万円くらい渡したのだ! そんなに要らないよ、と俺が断ると、「ここには日本人は滅多に来ない。 来るのは華僑ばかりで、全然駄目だ。 久しぶりの日本人だから期待してるよ」と俺に80万円押し付けた。

レストランでの食事の代金はみんなワリカンだった。 デカイ金額を動かしている割には、ケチな奴だな、と思ったが、この「小物」は毎日のようにこんな事をしているのだろう。 毎日奢るのはやはり大変なのか…

この航空会社の、特に華僑CAにパリ線が人気なのは、この「ブランド品バイヤー業」という「副業」があるからだ。 だから会社もわざわざ検定試験まで設け、頻繁にパリに行ける人数を制限しているのだ。(俺個人としては、こんなミットモナイことは禁止すればいいだけだと思うが、現在はどうなっているのだろうか?)
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「儲かる」パリ4
俺は「T」と、もう一人の香港男と一緒に行動したが、他の連中はどこに行ったのか分からなかった。 とりあえず、3人で近くにあるルイビトンやエルメスなどの店に行き、「買い物」を始めた。 先ずは香港人が店に入ったが、すぐ出てきた。 断られたのだという。 確かに俺から見ても怪しそうだ! そして俺が店に入った。 パスポートを見せろ、という。 俺のパスポートを見ると、守衛の男は俺を入れてくれた。 正直、断られた方が気が楽だった。

店に入ると、中にいる客はカネを持ってそうな日本人ばかりだった。 なるほど。 やっとあの「小物」の言ったことの意味が解った。 日本人の客は信用され易いのだ。 しかし俺はそこでは何も買わず出て行った。

その後もブランド店を数件回ったが、日本パスポートは警察手帳のごとく、どの店にも入れた。 しかし、買ったのは20万円ほどの小さなハンドバッグを一つだけ。 始めからやる気がなかった上に、暴力団の手先のような真似をしている自分がミジメになってきたからだ。

その日の終わりにはすっかり自分が情けなくなって、とりあえず「小物」にお釣りを返しに行った。 大きなビジネスホテルの小汚い一室だった。 部屋には自分で買ったのか、たくさんのブランドハンドバッグや財布が雑然と散乱していた。 俺が返した金額を見て、「ほとんど何も買ってないじゃないか?! 何をやってたんだ?! ほらっ、カネが要るならまだあるぞ!」と何百万円はあるだろう札束を取り出した。 俺は「頑張ったけど、駄目だった。 もうクタクタだし、腹も減ったし、もう今日はいいよ」と断った。

「T」ともう一人の香港人も同じように断り、その場を去った。 しかし、まだ不安は拭えない。 ブランド品を香港まで無傷で運び、「小物」の仲間に無傷で渡す、という「大仕事」が待っているのだ。

「儲かる」パリ5
俺は自分のやった軽はずみな行為を悔やんだ。 「T」ともう一人の香港人と一緒に「買い物」をしている間も、俺はずっと「あー、ミジメだ。 やんなきゃ良かった」と愚痴をこぼしてばかりいた。

「T」は俺のことを気の毒がり、俺を誘ったことを済まなそうにしていた。 終わった後、「こんな事に誘ってゴメンな。 俺もこんな感じだとは知らなかったし…」と謝っていた。 しかし「T」には何の罪もない。 俺が始めから断れば良かっただけの話だ。 

俺が腹を立てたのは自分自身の愚かさで、「T」ではないことを説明した。 「T」は謝りながら、俺の買った「ブツ」を、俺の代わりに「小物の仲間」に渡してくれるという。 俺は断った。

「T」が俺の「ブツ」を持っていること自体、「T」と俺の両方にリスクがある。 もし傷つけたり、失くしたりでもしたら大変なことになる。 俺と彼の両方が「消されて」しまうかもしれない。 しかし、彼はどうしてもしたい、絶対傷つけたり、失くしたりなどのドジは踏まない、というので、結局は任せることにした。

帰りにシャンゼリゼ通りにある地元フランス料理店にて、3人でムール貝を喰った。 ムール貝とは、英語の発音では「マッスル」といい、アサリ貝をデカくしたような物だ。 俺はたいしてフランス料理が美味い、と思ったことはなかったし、時々仕方なく喰っていたムール貝も例外ではない。 しかし何より一日の出来事で気が滅入っていたので、その日のムール貝がどんな味だったかもあまり憶えていない。

「儲かる」パリ6
その後、鉄道でホテルに戻ったが、あいにく鉄道職員はフランス恒例のストライキをやっていて、鉄道の本数が極端に少なかった。 ホテル近くの駅に戻った時は深夜を過ぎていて、駅とホテルを結ぶ無料シャトルバスは終わっていた。

俺達の傍に白人が何人か立っていて、彼らは俺達の宿泊する隣のホテルに泊まっていると言っていた。 するとちょっと大き目のマイクロバスが停まった。 白人の一人が何やらフランス語で運転手に話し掛けた後、俺達のほうを振り向き、ちょっとおカネを出せばホテルまで連れて行ってくれる、と言う。

俺達はその白人に何フランが渡し、マイクロバスに乗り込んだ。 しかしその白人はバスの運転手にカネを渡そうとしない。 実は元々このバスは彼らの宿泊するホテルの無料シャトルバスだったのだ!

俺達は騙された事に気付いた途端、今日一日の溜まり溜まったストレスで爆発しそうになったが、「バスが到着するまで待とう」とお互いを落ち着かせた。 金額は微々たるものだが、金額が問題ではない。

「東洋人をバカにするな!」と思ったのが一番。 そして「外国人だから騙せる」、と思った魂胆が憎たらしく、何より俺達は疲れていて、多少判断力が鈍っていたのも否めない…! 「バス」が到着し降りた後、その白人達に「さっきのカネ、返せ!」と迫った。

しかし連れの香港人はそそくさと逃げようとする。 俺と「T」は2人で「返さねぇと、ぶっ殺すぞ!」と彼等に迫り、俺達の怒りに押されたのか、とうとうカネを返した。

その後、何日がしてフランスを発った時、フランス政府から税金を返してもらい、無事俺達の「取り分」は取れた。 香港に着いてから、「ブツ」は「T」に渡し、「T」は無事に「小物の仲間」に渡してくれたらしく、後は何事も起こらなかった。

この「ブランド品買い付け」があるためパリ線は華僑CAには人気だが、この航空会社のCAの多くがこれをやっている、という事実自体を知らない人は他の部署でもいなかっただろう。 だから当然会社も知っていただろうが、これを規制する規則があったどうかは知らない。 これでドジを踏んで「消された」という話も聞いたことがない。

それにしても俺の知ってる日本人でこれをやった事がある人は一人もいなかった。 理由は「怪しい」、そして「怖い」から。 何人かは例の「中華料理店」で話は聞いたが、その場で断ったという。 日本人スチュワーデスは勇気があるし、まんざらバカでもないのだ。 しかし、俺は本当にバカだった! モチロン二度とやらなかったし、パリに行っても外出することさえ少なくなった。



車吉!





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