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Jose

2006年08月15日

僕が客室乗務員だったときの話 ■第6章全文■訓練

■第6章全文■

訓練


5月6日、香港に到着。 5月の香港は暑い。 都会のジメジメとした気持ちの悪い暑さだ。 しかしそんな事はほとんど気にならならなかった。 入社案内に書いてあった「○○○ファミリー」の一員になれる。 そのパンフレットによると、西はインドから東は日本まで、とアジアを中心に約13ヶ国から来たCAが働いているという。

実際はもっと多く、アジア系だがカナダ国籍、オーストラリア国籍、アメリカ国籍、イギリス国籍、ドイツ国籍、あとチベット出身者等、非常に多彩で、国籍だけ見たら20以上はあったかもしれない。

啓徳空港(カイタク空港)の指定された場所に向かうと、そこには一目で日本人、と判る女性数人がスーツケースを持って立ち話をしていた。 彼女達の緊張の笑顔から、一般観光客ではないことは察することができた。 彼女達もこの航空会社の訓練生なのだ。

まず、到着後、すぐに一つの大きな部屋に全員呼ばれ、この航空会社のCA専用のクレジットカードと給料振込用の銀行口座を作った。 その後、諸々の書類に記入するように指示された。 英語以外の得意言語を書く欄があったので、「スペイン語」と書くと「この航空会社はスペイン語圏には行かないから」、と消すように言われた。

初日の研修の後、この航空会社が訓練生の寮として利用していた油麻地(Yau Ma Tei・ヤウマーテー)のYMCAホテルに戻ると、2週間ほど前に到着していた、これからクラスメートとなる他の訓練生と会った。 4人ほどいて皆韓国人だった。 訛りの強い英語だったが、人間的には良さそうな人達だった。

他に日本人もいた。 彼女達は俺達より先に来て、この2週間英会話の研修を受けていたらしい。 要するに英会話が得意でない訓練生のための措置だ。 CAになる為に、英会話力は大して必要ないことをこの時初めて知った。
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訓練は大きく分けて3種類に分けられる。 サービス訓練、避難・応急処置訓練、そして英語の練習だった。 順番としては始めの2・3週間がサービス訓練。 その後が避難訓練。 週に1・2回位の最後の時限辺りに英語のクラスがあったと思う。 全部で2ヶ月間ほどの、俺にとってはカナリ長い訓練だった。(続く)

サービス訓練


サービス訓練1
サービス訓練の大半は自前のスーツを着て行われた。 実際の制服を着ての訓練は、最後の最後になってからだった。 俺は安物のスーツを2着しか持っていなかったので、それをとっかえひっかえで着ていた。 他の訓練生も似たようなもので、比較的地味な格好をしている者が多かったように思える。 「赤のスーツ」を着ているものは一人もいない。 実際に「本物」のこの航空会社での訓練が始まったら、「赤のスーツ」なんて恥ずかしくて着れない。

サービス訓練の大半は「モック・アップ」と呼ばれる、等身大の飛行機の模型のような場所で行われた。 本社ビルの一室(大きな部屋ではあるが) にありながら、実に本物そっくりに作ってあり、初めて見た時は本当に驚いた。 そのまま離陸してしまいそうだ。

トイレだけは本物ではなかったが、座席やカーペットも本物を使ってあるし、座席に付けてあるボタンも本物だ。 パン等を温めるオーブンも本物で、実際にスイッチを入れてパンを温めることができる。

そこには、客席と「ギャレー」と呼ばれるCAの作業場があり、これも本物そっくりに作ってある。 まずはその作業場にあるものを覚えなければならない。 一つの作業場には、「コンパートメント」と呼ばれるステンレス製の「収納箱」が全部で20個弱ほどあり、一個にはコーヒーや紅茶、一個にはピーナッツやゴミ袋、その他には睡眠用の目隠しや菜食料理、使い捨てのプラスチック・コップ、スプーン、タバスコ、パンフレット、などがある。

そして、次は離陸前の下準備と離陸後のサービスの訓練。 収納箱の事をよく知っていることが前提だ。 前の章で書いたような一連の作業のデモンストレーションを繰り返しやった。

ある程度覚えると、今度はロールプレイで、訓練生は乗客役とCA役に分かれて練習した。 ロールプレイも慣れてくると、本物の食事を使ってやり、その時は会社の事務員なども乗客役として参加した。

俺達のクラスの「担任」と「副担任」は両方とも好感の持てる気さくで洗練されたインド人女性で、現役のチーフパーサーと次のランクに位置するシニアパーサーだった。

サービス訓練2
4人一組の4チーム程に分かれて、それぞれ競い合った。 俺はこの手の競争が苦手だったが、やるしかない。 自分が正しくやっているのかどうかも判らなかったが、とにかく必死でやった。

終わった後、乗客役とCA役がそれぞれ感想を言い、そして教官も感想を述べる。 始めは無駄な動きが多かったが、少しずつ慣れてきた。 しかし実際の現場に立った時、自分の動作にはまだまだ無駄が多い事を痛感した。

こういった事を2・3週間ほど繰り返したと思う。 この収納箱の位置や中身は飛行機の機種によっても違うので、俺にとってはカナリ面倒で、緊張する期間だった。 覚える人はすぐ覚えたが、記憶力の悪い俺は中々覚えられなかった。

俺は収納箱や作業場の絵を自分で描き、動作の手順も順番どおりに書いて、自分の部屋に持って帰って、イメージトレーニングをやった。 ベッドに横たわって、その手順を考えながら寝るわけだ。

「CA搭乗直後」→「乗客搭乗中」→「乗客搭乗後」→「離陸直前」→「離陸後」→「航行初期」→「航行中期」→「航行後期」→「着陸直前」→「着陸直後」→「乗客離機後」と、いくつもの段階に分けた図を作り、その都度の必要作業を書き込む。 俺はその図をいつも持ち歩き、暇さえあればそれ読んで、覚えていた。

図を持ち歩くなんて、こんな事をやった者は少ないだろうし、実際、一度言われただけで覚えた者もいた。 女はこういったことを覚えるのが上手いのか、こういった事をすぐ覚えるクラスの女の子達を心の中で尊敬した。

今なら「ここまでやんなきゃいけないなんて… きっと、この仕事は俺には向かないんだろう…」と決め付けるだろうが、この当時俺はまだ24歳。 自分がまだ「どんな可能性でもある」、と思っている時期だ。 余り深く考えずに一心不乱にやれた。 あの時期だったから良かったのかもしれない。
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サービス訓練3
サービス訓練中は他にも「歩き方講習」、「座り方講習」、「アナウンス訓練」などがあった。 容姿に関する講習もあり、その中には化粧の練習などもあったが、俺には関係ない。 しかし、女性達は「恥ずかしぃぃ!」とか言いながら、嬉しそうに化粧の練習をしていた。

問題は「髪型チェック」だった。 俺は「ジェルを付け過ぎ!」と言われ、「何とかしてくる」ように告げられた。 俺の髪は極硬なので、ジェルを付けなければどうする事もできない。 しかしジェルと付けると訓練に落第し、不採用になってしまう。 何とかせねばならない。

次の日はジェルを付けずに、ボサボサの髪で訓練に行った。 すると「担任」は可笑しそうに俺を見て、「可愛い! OK!」と言い、とりあえず髪は合格した。 翌日からは、いつも通りジェルを付けて訓練に行ったが、何も言われなかった。

アナウンスの訓練は日本人女性で、現役チーフパーサーが担当した。 下っ端日本人CAは通常、アナウンスは日本語でやるからだ。 彼女は女性の声の「模範アナウンス」をテープで聞かせてくれた。 彼女曰く、「セクシーな声」らしいが、俺はその喋り方が、どうもネチッこくて好きになれなかった。 テレビの洋画に出てくる、吹き替えの声優の話し方と似ている。

女子は、練習中はこの喋り方を真似ざるを得ないが、現場でそんなアナウンスする女性は殆どいない。 男は練習中でもある程度「自己流」でできたのでこれも楽だった。 アナウンスの際には男が重宝されるので、俺もしょっちゅうアナウンスをやったのは前述の通りだ。

アナウンスには教科書があり、通常、日本人CAなら日本語だけを必要とするが、貰った時点では英語も併記してある。 現場でもこれを読みながらアナウンスをやる。 その教科書のサイズは、広さはクレジットカード2枚分で、厚さは3cmくらいの、ルーズリーフを入れるバインダーを小さくしたようなものだ。 通常、「PAブック」(本名はPassenger Announcement book か Passenger Address book)と呼ばれた。

社内の打ち合せ室の近くには色んな言語で記されたアナウンスの小冊子が置いてあり、アジアを中心とする約30言語位かそれ以上はあったと思う。 中国語だけ取っても多彩で、北京語、広東語、ローマ字表記(Pinyin)等があった。 フィリピン人向けのアナウンスもタガログ語とセブアノ語の両方が置いてあった。 面白いので俺も暇な時は読んでいた。

一度だけ、この航空会社の公用語ではないがスペイン語のアナウンスをやったことがある。 メキシコ人の大型団体客がいたためだが、俺がチーフパーサーに自分がスペイン語が解ることを告げ、スペイン語のアナウンスをやりたいと言うと、チーフパーサーはすぐに承諾してくれた。 この辺は俺がかつて勤めた在米の日本企業、そしてこの航空会社に入る前やこの航空会社の退職後に勤めた国内の日本企業とは違う。 海外の企業は「これは使えるな」と思ったらすぐに使うが、日本の企業ならそう簡単には行かなかった。

英語のアナウンスをスペイン語に訳してアナウンスすると、メキシコ人団体客から歓声が上がった。 アナウンスで歓声が上がるなど異例だし、チーフパーサーも「言語を変えただけで、歓声が上がるなんて… こんなの初めてよ!」と言ってくれた。 仕事のやりがいとはこういったものだろう。 たまにはこんな良い事でもなければ、スチュワードのような仕事なんてやってられない。

そのあと、メキシコ人の旅行団体の代表から俺に「航空会社を辞めて我が社に来ないか?」と機内で言ってきた。 観光用のクルーズ船の会社らしい。 嬉しくて仕方なかったが、2週間ほど考えやはり辞退することにした。 俺自身、メキシコで働いたことがあるのでよく憶えているが、メキシコの企業は給料を払うのが結構いい加減だったり、約束自体を憶えていないことが多い。 時間やカネに関する約束をきちんと守るのは、残念ながら日本人や欧米人くらいしかないと思う。 不安だったので、3週間ほどして断りの電話を入れた。

訓練の話に戻す。 「歩き方講習」や「座り方講習」は女に関係あるものばかりだ。 男はただ座るだけで良いし、歩く時はガニ股や猫背にならないように気を付けるだけでよい。 ただ、男は原則として足を組んではいけなかったと思うが、女は綺麗にやるなら足を組んでも良かったと思う。

「歩き方講習」や「座り方講習」は2・3時間程度の講習だった。 それ以降は一度もやっていない。

英語の授業
英語の授業は、なんと俺の最終日の面接官が担当だった。 陽気なイギリス人で、色んな面で親切だった。 授業は主にヘッドフォンを付けて、テープに録音された英会話を聞くもので、内容は乗客とCAの会話が多かった。 乗客が何を注文しているのか聞き取る、というものだ。 日本人の中には海外留学経験者がまあまあの数でいて、彼女達の英語は卓越しており、聞き取りに不自由する者は少なかった。 しかし韓国人で英語留学した者はいなかった。

しかし日本人でも韓国人でも、ずっと母国で暮らしてきた訓練生にとっては、英会話の聞き取りは大変だったようだ。 訓練時間外でも、頑張って聞き取りの練習をしている人も多かった。 英語は外国語だ。 難しいのが当然で、例えばロシア語やドイツ語で訓練を受けたりしたなら、当然俺も当惑しただろう。

しかし、この航空会社に限って言えば、英語力のなさ、というのは俺には致命的に見えた。 英語はこの航空会社の共通の言語だったが、どの航空会社にも特殊な業界用語がある。 「ロースター(roster)」は通常軍隊などで用いられる言葉だが、簡単に言えば「スケジュール」のこと。 

また、その会社でしか通じない単語や表現もたくさんあり、この航空会社も例外ではない。 例えば「タッパウ」とは機内の物を盗むこと。 広東語から来たらしい。 「G」は休日のこと。 3日休みは「three Gs」などという。 英語をよく知ってる人なら、これらの単語は「会社専用」だが、英語をあまり知らない者はこれらを「本物の英語」と勘違いしてしまい、外の世界でも使ってしまう。

よく大勢のCAが間違って使っていたのが、「クルー」(crew)という単語。 これは通常はCAのことを指したが、これは一人一人のことを指して言っているのではなく、集団を指して使う言葉だ。 一人一人のことを指すのなら「クルー・メンバー」(crew member)と言わねばならない。 しかし、この航空会社やその他の航空会社の人間は “Are you a crew?” なんて表現をよく使う。 正しくは “Are you a crew member?” だ。

航空業界だけなら良いが、こんなお粗末な英語を外の世界でも使うから困りものだ。 また、この航空会社は香港の会社で、香港人、シンガポール人、マレーシア人など、華僑がかなり多い。 彼らの中国語訛りの英語が移ってしまうと、まともな英語が話せなくなる。

日本人が考えている以上に、言語問題は世界中を飛ぶこの航空会社では重要視される。 その一方で、役に立たない業界用語が「英語」として話されている。 英語を知らなくても入社はできるが、入社前に英語をある程度知っていたほうが、滅茶苦茶な「広東英語」に毒されずに済むのだ。

シンガポールの「英語」1
話は少しそれるが、俺も一度この言語的なことが原因でチョットしたトラブルに巻き込まれたことがある。 仕事を始めて間もない頃だが、香港−シンガポール線でのこと。

シンガポール出身の同僚CAで、中国語訛りでしかも早口で話す女がいた。 彼女が何を言っているのか解らないので、当惑した俺が何度も聞き返すと、しまいには相手は「なんであんた達日本人は英語が解らないの?!」などと怒り出した。 俺もちょっとカチンときたのでこう言ってやった。

“I don’t understand your Chinese English. Besides, I am Japanese AND I speak better English than you do!(僕は君のチャイニーズ英語が理解できないんだよ。 それに僕は日本人だけど、君よりも英語は上手く話せるよ!)”

するとなんと彼女はセクションリーダーにこのことを言い付けたのだ! 「自分の英語を侮辱した」とのことで。 俺は「解らない事を解らない」といっただけで、先に「日本人云々」と侮辱したのは相手のほうだ。 しかしこのセクションリーダーもシンガポール人(しかもカナリ美人!関係ないか…)。 ホテル到着後、シンガポール人セクションリーダーは俺と彼女の二人を呼び出し、事情を聞いた。 セクションリーダーはできるだけ冷静に話を聞こうと努力しているのが読み取れた。

俺達の話を聞いた後、シンガポール人セクションリーダーは「○○(相手の名前)は日本人がどうこうなんて言っちゃダメ! そして藤原さぁん、シンガポール人は貴方の言う『Chinese English(チャイニーズ英語)』なんて言われるのを一番嫌うの。 二人とも自分の言うことには気をつけてね。 ハイ、おしまい! もうこのことは忘れなさい!」 とても美人で人格も優れたセクションリーダーだったと思う。

宿泊先はシンガポール。 なんだか現地人全てを敵に回したような気がした。 俺はシンガポールのバーをいくつか飲み歩いた。 シンガポールはとても小さな国だ。 なるべく現地人が行くようなバーに行くようにはしたが、国土が狭いせいか、やはり数が少ないような気がした。 しかも結構高価だ。

ビルの上階にある青のデコレーションで統一された小洒落たバーで飲んでいると、隣に座っていた現地のおばさんが飲み物をおごってくれた。 このおばさんの英語はこの航空会社のシンガポールCAよりも中国語訛りが強く、「なるほど。 タドタドしく聞こえるけど、妙に自信を持って話している。 これはきっとシンガポールの訛りなんだろぅなぁ… それにしても、こんな高いバーでおごってくれるなんて、ツイてるなぁ。 金持ちなんかなぁ…」と思った。

シンガポール人は母国語である中国語で話せばいいものを、なぜこんなタドタドしい英語を堂々と話すのだろうか? 現地の人と話しているだけでは解らない。 翌日、俺は書店でシンガポールに関する本をいくつか買った。

シンガポールの「英語」2
シンガポール人がナゼこんなタドタドしい英語を堂々と話すのか、シンガポールの歴史抜きにはわからない。 また、シンガポールの歴史はマレーシアなしでは語れない。 ここでは少しシンガポールの歴史について触れる。

シンガポールは赤道付近にある常夏の小さな島。 昔からシンガポールはマレー半島の一部と位置づけられており、マレーシア自体も以前はイギリス領だった。 大東亜戦争(太平洋戦争)時に日本軍の英国領マレーシアに進攻、南下しシンガポールに大量に駐留するイギリス軍を叩いた後、数年支配するが、その後撤退。 イギリスは再度マレーシア統治を試みるが、日本兵の前にひざまずくイギリス兵を見たマレー人だ。 もうイギリス人の言うことを聞く気にはなれない。

マレー人は独立運動を始めた。 クアラルンプール(現在の首都)などで独立を呼びかけるビラを、夜中のうちに街中に貼り付けるなどの草の根運動を始めた。 そのビラもあえて華僑の印刷技術を取り入れた。 マレー人よりも技術が高かったのもあるだろうが、独立にあまり積極的でない華僑を巻き込む目的もあったとされる。 見る人が見れば華僑の印刷技術だと判るので、「華僑も加担している」と勘違いされる。 イギリス人が華僑へも弾圧を加えることで、華僑も独立の為に立ち上がると考えたのだ。

華僑にとっては誰がマレーシアを支配しようと、自分たちが部外者であることには変わりない。 むしろ華僑にとっての良き商売相手であるイギリス人が支配してくれたほうが、遠慮することなく商売をすることができるし、中国語教育を遠慮なく施すこともできる。 中国人は豚肉を食うが、マレー人はイスラム教徒なので食わない。 このように食文化から商売への執着、教育レベルなどなど、全て違う華僑とマレー人だ。 「マレー人に支配されるくらいなら、イギリス人のほうがマシだ」と考える華僑も多かった。

かくしてマレー人の努力が実り、マレーシアは独立。  マレーシアに編入されていたシンガポールは港町で昔から商業が盛んな場所、そこには華僑が集まっていた。 人口の70%以上が華僑であるシンガポール。 シンガポールは自治州として様々な治安や防衛などの保護を求める一方、教育や一部の外交権、そして経済的などの強い自治権をマレーシア中央政府に求め始める。 「シンガポール華僑のワガママは行き過ぎだ」と考えたマレーシア政府から追放され、独立した。

このような時代背景により、華僑やマレー人、タミル人(元々は南インド人で、英領時代に奴隷や移住者としてマレー半島に来た)など、様々な人種が存在していることが分かる。 華僑も種族によって異なる言語を話す。 公用語は北京語(普通話)とされているが、生活用語は福建語や潮洲語(Teochew中国南部の言語)が主。 後は香港でも話す広東語や客家語(ハッカHakka)などの話者も多い。 これはマレーシアにも同様のことが言える。

「客家」とは文字通り「お客さん」。 要するに「よそ者」という意味だ。 元 (蒙古) の時代、中国北部から迫害されて、南部や遠くは東南アジアに移ってきた人達。 南部とは全く違う訛りの中国語を話す為、自分達の社会を築き、他の中国の部族との交流を閉ざしていたこともあるため、このように呼ばれるようになったという。 今では客家族出身者でのシンガポールや他の東南アジア華僑社会、そして中国や台湾でも政治などの中枢を握る者も多い。 日本で知られている人なら孫文、讃・ソ(中華人民共和国元主席)、李登輝(台湾元総統)、タクシン・シナワット(タイ国首相)、 李光耀リー・クァンユー(シンガポール元首相)などがいる。

ともあれ、シンガポールではこのように様々な方言、そしてマレー語、タミル語などの言語を話すため、統一言語として一応英語が用いられている。 そして幼い頃から英語を習っているせいか、「そこそこ英語を話せる者」はたくさんいるが、発音、文法、語彙力がイマイチだ。 また「中国語は話せても書けない者」もたくさんいる。 どれも中途半端なのだ。

日本人には想像し難い世界だが、世界には「母国語がない人々」(特にマレーシアやアフリカなど)がまだまだ沢山いることを後で知った。

シンガポールにとっては「統一言語問題」は建国前からの課題らしく、「シンガポール人ならせめて英語くらいは完璧に」という人もいれば、「いやいや、華僑にとっては北京語が先だ。 マレー人はマレー語を覚えればいい」という意見もある。 結局「まずは英語を」となったようだが、社会全体で英語を完璧に話す環境が必要だ。 しかもいまだに反対派が多い。 英語が彼等の母国語となるまで、まだまだあと何世代も掛かることだろう。

俺がシンガポールやマレーシアについての本を読み漁っているうちに、自然とシンガポールやマレーシア出身の知り合いが多くなってきた。 彼等の訛り、悩み、話題にも慣れてきた。 政治に個人の運命を振り回されてきたため、シンガポールやマレーシアでは若者を含む一般市民でも政治の話が好きだ。 飲みに行けばいつもそんな話になる。 彼らとの付き合いや会話を通じて、俺の「日本人」としてのアイデンティティも確立された。

避難訓練・応急処置訓練

訓練の話に戻る。 一連のサービス訓練を終えた後は、避難訓練・応急処置訓練に入る。 この訓練が航空業界ではもっとも重要とされている。 このテストに合格しないと空港を出入りするカード、ICAOカード(アイケーオー・カード)が貰えず、職務に就けないのは前述の通りだ。

主な教官は5人いて、全員男だった。 一人は生粋の中華系香港人。 もう一人は中華系だが、イギリス育ちで完璧な英語を話し、プロレスラーのような体躯をした男。 そしてフィリピン系の香港人。 そしてイギリス白人が2人いた。

イギリス育ちの中華系男は、刺青をいれた元イギリスの軍人で、特殊部隊にいたらしい。 フォークランド紛争にも参加した、との噂もあった。 女の子は一人がその男に、「軍隊でどんなことを勉強したの?」と聞くと、「人をぶっ殺す練習だ」と一言だけ答えていたのを憶えている。 航空会社の教官、というより「香港マフィアの用心棒」役の方が似合いそうだ。 

このイギリス育ちの中華系男は、いつもしかめた怖い顔をしていたが、俺達の授業で教えることは殆どなかった。  休憩時間などにはよく会ったが、正直、この男から授業を受けずにホッとしていた。 通常俺達に授業したのは残り4人だ。

名前はこの5人うちで生粋イギリス白人の一人しか憶えていない。 この男は若いがちょっと髪の薄い男だ。 女から見たら少しスケベな顔をしているらしく、クラスの女性達からは陰で「ひろし」と呼ばれていた。 「ひろし」では日本人みたいでしっくりこないし、実名を挙げるのは可哀想なので、プライバシー保護のためイニシャルをとって「M」と呼ぶことにする。

他の教官達は名前が思い出せないので、

「生粋の中華系香港人」は「中華」。
「フィリピン系の香港人」は「フィリピン系」。 
もう一人の「イギリス白人」は「イギリス」

と呼ぶことにする。

机上の避難学習
始めの授業は「中華」がやった。 まずは数々の世界の「航空事故」のビデオやドラマを見た。 ちょっとした油断が大事故に繋がり、乗客のほとんどが死亡する、というものだ。

実にバラエティーに富んだ航空事故があった。 タバコによる火災であったり、作業場のオーブンからの出火であったり、飛行機の天井がはがれたり、パイロットが気を失ったり、と幾つもの興味深い航空事故ドラマを何時間も見た。

俺はそれまでにも幾度となく飛行機に乗ったが、初めて恐怖を感じた。 教官たちの狙い通りだろう。 その後、「中華」は事故の原因などを説明していたが、説明しなくてあれだけ見れば充分わかった。

その後、教室での避難の時の掛け声の練習。 通常の掛け声は決まっている。 「Evacuate.(イヴァキュエイト) Evacuate. ソーサーン!」と叫び、それを連呼する。 「Evacuate.(イヴァキュエイト)」は英語で「避難してください。」という意味。 これを2回言う。 さて、この「ソーサーン」とは一体何だろう? 「中華」に聞いたところ、漢字で「疎散」と書くらしく、広東語で「避難する」という意味らしい。

応急処置
そして応急処置の訓練だ。 この授業は主に「中華」や「フィリピン系」がやった。 応急処置といっても幅広い。 前に挙げた「過呼吸」の他にも、「低酸素症」「癲癇(てんかん)」「糖尿病」「失神」「嘔吐」「鼻血」「頭痛」「骨折」「打撲」「脱臼」… これらの症状や前兆、応急処置方法などを学んだが、一番印象深かったのが「出産」だった。

「出産」の壮絶な現場のビデオを見せられた。 アメリカのビデオらしいが、出ていたのはラテンアメリカ系の夫婦。 陣痛が始まり、その後、排泄物や羊水が出たりして、凄まじかった。 独身の俺にはかなりショックで、正直、少し気分が悪くなった。 出産の現場には立ち会いたくない、と思ったもんだ。 あとで教官から聞いたのが、この夫婦は貧乏なので、おカネを貰うことで出産をビデオに収めてもらっていたらしい。 なんとも気の毒な話だ。

しかしその後、結婚して妻が出産した時には2人だけ(赤ん坊を入れれば3人で)おこなった。 実際はビデオで見るような気持ちの悪いものでは全くない。

「陣痛」と「破水」の順番は大丈夫か? 自分の子供が無事産まれてくるか? 膣と肛門の間(会陰)は切れないか? 出産後の妻の体調は大丈夫か等、本当に重要な事で頭が一杯で、緊張感に張り詰めていた。 実際に出産を目に前にすれば、出産とは極めて素晴しい「自然現象」である、ということがよく解るのだ。

応急処置訓練で、最も時間を掛けたのは「人工呼吸」だった。 酸素ボンベか人間の口を使って酸素を与える、というもの。 これにもマニュアルやセリフがあり、ちゃんとした順番でやらないといけない事になっている。

まずは声を掛ける。 この航空会社での決まり文句は “Are you OK? Can you hear me?! (大丈夫ですか? 聞こえますか?) ”  その後、血脈や心音、呼吸を確認したり、胸を両手で押したり、場合によっては口を付けて息を入れたりする。 こういった事を繰り返す。 胸を両手で押す時も、垂直に押さねばならない。

心音を確認するときの数え方は “One one thousand, Two one thousand, Three one thousand…” といった具合だ。 何故普通に “One, Two, Three…” と数えないかというと、“One, Two, Three…”では速く数えてしまう可能性が高いからだ。 早口でも “One one thousand, Two one thousand, Three one thousand…” と数えた方が正しく数えれる、との事。 この「人工呼吸」の訓練はゴムの人形を使って行われ、一人一人が使う度にアルコール消毒液で口の部分を拭いた。

俺はこういった一連の流れを覚えるのにも人一倍苦労したが、非常に勉強になった。 幸いこういった現場に立ち会ったことはないが、イザこういった事があってもうろたえずに行動できるのではないかと思う。

また、酸素ボンベの使い方を習った。 酸素ボンベに取り付けることができる「管」が何種類かあったり、ある一定の量を使ったら次のボンベに代えなければいけないこと等、非常に細かく学んだ。 使い方の一つとして、酸欠状態に陥った乗客に、管の繋がったプラスチックのマスクを付けて酸素を供給する、というものだ。 実は俺も何度か機内で実践した事がある。 訓練を受けた甲斐があったというものだ。

それから、骨折の種類とその応急処置。 骨折にも斜骨折、圧迫骨折、粉砕骨折、剥離骨折、亀裂骨折などバラエティーに富み、それを固定するための包帯の巻き方などの応急処置を学んだ。

あと細かなことを言えば、鼻血の時は「あお向け」になるのは誤りで、本当は「顔を下に向ける」のが正しいやり方だと、この応急処置訓練で初めて知った。

実際の避難訓練

机上の避難学習が終わった後は、避難訓練用の実物大の飛行機模型「モックアップ」での訓練があった。 この「モックアップ」は前述の「サービス訓練用」のモックアップとはダイブ違っていて、実際の高さも本物のように作ってあり、既に飛び出た状態にある避難用の「滑り台」が付いている。

サービス訓練には使わないせいか、オーブンや水道の蛇口もなかったと思う。 外から見ても威圧感があったが、薄暗い内部に入ったら、尚更サービス訓練とは違った「緊張感」を覚える。

この訓練の担当は「M」だ。 訓練生はカーキ色の頑丈なつなぎ服(ジャンプスーツ)を上から着て行われた。 これもロールプレイが多く、4チーム程に分けられ、CA役と乗客役となり、これを順番に繰り返した。

緊急避難も前述の通り、大きく分けて2種類ある。 陸に落ちた時と海に落ちた時だ。 その他にも「離陸の時」「着陸の時」「乗客がパニック状態にある時」「乗客が失神している時」「乗客がトイレにいる時」「火事の時」など、色んなパターンを想定して行われた。
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陸上避難訓練1
通常の流れとしてはCA役が機内で待機し、乗客役を案内する。 「M」は「機長」役だ。

「搭乗」が終わるとそのすぐ後、「M」が「ハイ、出発前の諸作業は終わり。 CAはシートベルの確認をするように」とアナウンスをする。 サービス訓練ではないので、搭乗の部分は略式だ。 シートベルト確認後、「今から出発する。 CAも離陸に向けて着席するように。」 ここからが本当の訓練だ。

ここから何時「非常事態」が起こるかわからない。 離陸直後かもしれないし、航行中か着陸時かもしれない。 突然、機内の明かりが点滅し、「今から地上に緊急着陸する」と「M」がアナウンスする。 この場合の「緊急着陸」とは事実上「墜落」のことだ。

墜落直前のCAのセリフも決まっている。 確か “Brace, brace! Head down! Hands on your head!”(ふんばって、ふんばって!頭は下に。手は頭の上に。) だったと思う。 日本語で「ふんばって、ふんばって!」と言ってもチョットかっこ悪いが、英語で “Brace, brace!” というのは変に聞こえないから不思議だ。
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その後、「M」が「CAは乗客を避難させよ!」と命令を出す。 CA役は基本的に全員「イヴァキュエイト、イヴァキュエイト、疎散(ソーサーン)!」と連呼する。 

ドアを開ける役は “Shoes off! Leave bag. Jump and Slide two at a time! ”(靴を脱いで! バッグを置いて! 2人ずつ降りて!) と「滑り台」の外に向かって指し、乗客に指示する。 靴を脱ぐのは、ハイヒールなどで滑り台が破れるのを防ぐため、そして下にいる人を靴で蹴らないようにする為だ。

ただ、実際に事故で避難する時は、靴を脱いだりしてる暇はないだろう。 ビデオで避難訓練を見たときも、乗客は靴を履いている人も多く、バランスを崩して「滑り台」を頭から落ちる人、そして大体「滑り台」の上に7人も8人も入り乱れながら降りていて、見ていて危険極まりない。 機内で一酸化炭素中毒で死ぬよりかはマシだろうが、訓練でやるようには綺麗にいかないものだ。 「なるほど、実際の事故の時にはこんな風になるのだろう」と思いながら見ていた。

陸上避難訓練2
乗客が全員降りた後は、機内に乗客がいないことを確認し、CAも降りる。 この時、「乗客役」がトイレに隠れていたりして、見つける事ができなかったチームもあり、「乗客一人死亡。 どうしてくれるんだ?」等と「M」から厳しい注意を受けたりしていた。

いずれの場合も掛け声を掛ける時は、腹の底から大声を出して叫ばなければならない。 初めも女子達は恥かしがっていたが、慣れると割れんばかりの大声で言えるようになった。 ケッコウ楽しんで叫んでいたようだ。

「M」によると、乗客がパニック状態にあるときなどは「Shut up!(黙れ!)」と言っても良いとのこと。 俺が「CA役」の時にそれが起きた。 クラスメートのほとんどである女子がパニックの叫びをあげ始める。 狭い機内で物凄い轟音がする。 あの時の叫び声はハンパじゃなかった。 なにしろ事故ではなく、「M」の指示通り「わざと」絶叫しているのだ。 耳がつんざかれそうだった。

本気でイラついた俺も、それに応えるように「Shut up! Shut the fuck up! Get your ass up and get moving! Come on!」と怒鳴った。 すると本当に少し静かになった。 あっ、ヤバ…! あとで「M」から咎められなかったのが幸いだったが…

ともかく「乗客を動かす速度」と「滑り台から降りる場面」に最も重点が置かれた。 ドアの傍らに立つ時は、乗客の邪魔にならないようにせねばならない。 ほんの少し、20・30cm程邪魔になっただけで、避難が大幅に遅れる時もあり、助かるはずの乗客が機内で死ぬ時もある。

また、滑り台を降りる時の “Jump and slide two at a time! ” というセリフだ。 “Jump” と言うが、本当は「跳んで」はいけない。 両腕を水平にし、そのまま落ちるような形で降りなければならない。 ジャンプしたら、勢いが付き過ぎて地上に降りた時に怪我をするかもしれないし、「滑り台」が傷む可能性もあるからだ。
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海上避難訓練1
そして、海上避難訓練。 飛行機が海に墜落したときを想定した訓練だ。 アジアの他航空会社に比べて事故が少ないこの航空会社でも一度本物の海上避難をやったことがあるらしいので、これは現実味があった。 この訓練は主に「イギリス」が担当した。

飛行機は飛ぶ前に勢いをつけるために滑走路を走るが、パイロットの計算ミスか、行き過ぎてしまったため、飛行機が「ドボン」とそのまま海に落っこちてしまったとのこと。 その時、「訓練を積んだ」CA の避難技術のお陰で避難は大成功に終わったらしい。 まぁ、高い所から墜落したわけでもないので、死者が出るわけもないとは思うが(いや、水死の可能性もあるか…)、パイロットのドジで何十億もする航空機がパーだ。 死者が出なかったので、こんな呑気なことが言えるが、これで死者が出たら、飛行機の値段の話どころではない。

新米訓練生の俺にとって一番興味深かったのが、「滑り台を切り離してボートにできる」というところだ。 陸上避難の際には普通に「滑り台」を降りていくが、水の中に「滑り台」で降りていくわけにはいけない。 乗客は「ドボン、ドボン」の水の中に突っ込んでいき、泳げる者だけが助かるだろう。 そこで、「滑り台」を切り離してボートにする。 そこに飛び降りて、飛行機から脱出する、というわけだ。 また、「滑り台ボート」の他に予備のボートもある。

飛行機が水に落ちた場合、まずは水位を確かめなければならない。 飛行機が水に沈んでしまっている時に、そのままドアを開けたら、飛行機の中は水だらけだ。 沈む前に迅速に動く。

ドアを開け、「滑り台」が飛び出たのを確認する。 次は「飛行機」と「滑り台」のつなぎ目にある紐を引っ張り、「滑り台」が水の上に落ちて「ボート」となる。 その後「ボート」に乗客を誘導するわけだが、誘導して避難が終わったわけではない。

まだ、この時点ではボートと飛行機がロープで繋がっているので、そのロープを外さなければならない。 外さなければ、沈む飛行機に引っ張られ、飛行機もろともボートが沈んでしまうからだ。 また、あまりに早い時期にロープを外してはならない。 乗客が乗り終わらないうちにロープを外してしまうと、ボートが流されてしまう。 正しいタイミングでロープを外すことが大事だと習った。

海上避難訓練2
実際に本社の屋上にあった水泳プールでも練習した。 「同級生」の水着姿を見ても、緊張していたせいか、不思議と何のセクシーさも感じなかったのを憶えている。 また驚いた事に何人かのクラスメートは泳げない。 いわゆるカナヅチだ。 日本人は殆どきちんと泳げたが、韓国人の女の子にはカナヅチが多かったと思う。

メキシコに住んでいた時、よく泳げない人を見かけた。 メキシコでは水泳が義務教育に組み込まれていないからだ。 韓国もそうなのか判らないが、泳げる・泳げないは国によって開きが大きい。 学校教育にあるかないかで差が出てくるのだろう。 だから、競泳やシンクロナイズスイミングの世界選手権でも日本や欧米などの決まった国が毎回上位に入る。

水の上で予備ボートを開く練習などをやり、そして「にわか水練」をやったが、そこ何日かで覚えるわけもない。 とうとう、「カナヅチ」は「カナヅチ」のまま終わったようだ。 本当は泳げないとCAにはなれないらしいが、その辺の評価が甘い。 訓練開始後1ヶ月経って、「泳げない事」が発覚しても、その時点で落第させるのは余りにも酷だからだろうか。 本当に泳げる事が「CAの必須条件」なら、入社試験でやっておけば良いと思うが。
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筆記試験と腐敗
こういった、興味深い上、役にも立つ訓練を受けた後、筆記試験が行われる。 筆記試験に合格すれば、世界基準を満たしたことを証明するICAOカードを手にし、空港への出入りができるようになる。

しかし、今まで勉強した範囲は「今まで避難訓練や応急処置訓練で習ったこと全て」という事で、試験範囲が非常に広く、試験勉強も楽ではない。 特に俺は、「大人の血脈は一分間に○○回」といった、細かな数字を覚えるのが苦手だ。 試験は全部で30〜40問位で、全部4択問題だったと思う。

この筆記試験には俺から見たら非常に深刻な腐敗があった。 テストが事前に出回っていたのだ。 テストの数日前、日本人クラスメートの一人が俺の部屋に来て「テストのコピーがあるから要る? みんなコピー取ってるよ!」と俺を驚かせた。

俺は「処世術」には長けているつもりだったが、入社したからには「テスト内容を事前に知る」などの真似はしない。 勉強自体は極度に大変だったが、学問や実利面で覚える価値があると思っていた。 綺麗事だろうが、どうしても自力で合格したかったのだ。

どうやって手に入れたのか聞くと、「先輩で、教官と付き合っている人がいて、その人から回ってきた」という。 俺が断ると、その女子はしつこく「みんなやってるよ。 私達 (日本人) だけじゃなくて、他の人達もみんなやってるよ。 コピー取りなよ!」と迫ってくる。 しばらく押し問答をした後、彼女は諦めて去っていった。

後で知ったことだが、避難訓練・応急処置訓練の教官達は、みんなこの航空会社のスチュワーデスと付き合っているとのことだった。 俺が実際に知っている限りでは、「フィリピン系」は日本人スチュワーデスと付き合っていた。 これは実際に当のスチュワーデスから直接聞いたことだ。

その他の教官も、様々な国籍のこの航空会社のスチュワーデスを恋人としている、という事らしかった。 もっぱらの噂ではその教官中の誰かが、自分の恋人にテストを渡し、それが出回っている、とのこと。 これは社内では有名だった。 テスト内容は定期的に変わるが、それでもその度にテスト内容が会社中に出回っていた。

教官の中でも「中華」が一番真面目な奴で、スチュワーデスとの女性関係は聞いたことがない。 しかし何年後かには辞めてしまったようだ。 マトモな奴ほど病的な場所には長くは居つけないものだ。 「肥溜め」の中で暮らしていると、段々ニオいが気にならなくなってくるのか、他の教官達は何年も居座り続けていたらしい。

一年後の訓練
この避難訓練・応急処置訓練は翌年にも1回あり、同様の筆記テストがあった。 入社して、諸々の事項を忘れていないかを確認するためだ。 俺の所に再びテスト内容が回ってきた。

俺は当然拒否し、自分である程度は勉強したが、勉強不足だったたのだろう、一度は落ちてしまった。 再度追試を受けて、合格したが、一旦はICAOカードを没収された。 ICAOカードがなければ、仕事ができない。 仕事ができなれば、給料も減る。 俺にとっては忘れ難い出来事だ。

このテストで落ちたことを俺に告げたのが「フィリピン系」だった。 3点ほど足りなかったらしい。 俺はかねがねこのテストが事前に出回っていることを不満に思っていたので、お節介だろうがここぞとばかりにブチまけた。

俺:   「教官の中で、CAと付き合っている人がいる、っていうのは本当ですか?」
フィリピン系:  「…そんな事は知らない…」
俺:   「その教官は日本人と付き合っているらしいですよ。 その教官かはどうか知らないけど、ある教官の恋人を通じてテストが出回っている、というのも本当ですか?」
フィリピン系:   「そんな事も知らない…」
俺:   「調べた方が良いんじゃないですか? 僕は確かに勉強不足で落ちたのかもしれないけど、少なくとも真面目に勉強したんだ。 テストが回ってきても断ったんだ。 不公平じゃないですか?!」
フィリピン系:   「そうだな… 調べた方が良いな。」

「不公平」というのは筋違いの言い方だったろうが、俺がこう言ったことは確かだった。

彼は青ざめていたが、このように俺が打ち明けた所で、何も変わらないだろう。 こんな事を会社が調べたら、彼か彼の同僚のクビが飛ぶかもしれない。 とんでもないスキャンダルだ。

そして当然このことは社外にも漏れるだろう。 社外に漏れれば、全CAはおろか、この航空会社自体が危機に陥る可能性がある。 「不正にICAOカードを発行した」として。 だから、初めから社内調査などはしないに違いない。 このことを知っている人は多かったから、きっと現在は状況も改善されているに違いないが。

俺が会社を出た後、自分が不合格だった事への落胆と、内部の腐敗を教官本人に打ち明けたことに対して、トンでもない恐怖感を感じた。

「どうしよう… クビになるかもしれん。 しかも違う理由をデッチ上げられて、不名誉にクビになるかもしれん。」

いつものバス乗り場を通り過ぎ、トボトボとアテもなく歩いた。 しばらく歩くと、盲目らしい、白い杖をついた老婆が階段を登っていた。

俺は下手クソな広東語で声を掛け、老婆をオンブして階段を登った。 老婆は「多謝! 多謝!(ドーチェ)」細い笑顔で礼を言い、その後は自分で歩いていった。 その後、俺はいつもとは違うバスに乗り、帰宅の途についた。
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難読症
俺のクラスの訓練生は平均して英語も上手く、物覚えもよかった。 日本人も韓国人も皆優秀だった。 おそらく一番物覚えが遅かったのは俺だったろう。

俺は「難読症(または失読症)」だ。 とはいっても、文書の読書きには問題ない。 「難読症」といっても色んな「種類」があるらしい。

俺の場合は物事を「暗記」することができない部類だ。 学校で習うような項目を覚えるには「超人的」な努力を必要とする。 しかし習慣や行動を通じて憶えた事は中々忘れない。 これも難読症の特徴の一つらしい。 だから学習内容も「習慣」として「体得」するしかなかった。

また、人と話していてもすぐに理解できないことが時々ある。 以前は「耳が悪いのか」と思った時もあったが、聴覚障害でもない。 「変だなぁ」と長年悩んだ。 「聞こえているのに理解できない。」 これも「難読症」にはよくある事といわれる。

本当は俺のような者は珍しくない。 人口の約15%は難読症だといわれる。 学校でなら、一クラス当たり4人位は居ることになる。 日本なら約2000万人弱とかなり多い。 しかし一般には「バカ」と言われかねない部類だ。

「ダメな奴」と見られ易いので、無職やフリーターなどになりがちだ。 職場でも低く評価され易い。 性格が歪んでしまい、そのまま暴力団員になる者もいる。 刑務所内の難読症者の割合は非常に高いそうだ。

一方で、著名人には難読症者が非常に多い。 古くはレオナルド・ダ・ヴィンチ、近世ならエジソンやチャーチル、現在なら多くの学者や政治家、そしてトム・クルーズなどの俳優、そして聞いた所によると長嶋茂雄も難読症(?)、といわれる。 つまり「専門職」に就く者が多いのだ。

難読症者にはたくさんの苦手分野がある一方、特定の分野には非常に長けている。 能力がかたよっており、得意分野が限られているので、専門職に就かざるを得ないのだ。 だから学者には難読症が多い。 俺も今は自分の事業を営み、仕事ももちろん専門職だ。

難読症者が全員「専門分野」を発見するのは理想的だ。 しかし現実には中々そう簡単にはいかない。 人口15%の難読症者を上手い具合に教育すれば、それぞれの能力を伸ばすことができ、社会は大きく発展するだろう。 犯罪も減ることは間違いない。

難読症者がCA職に向いているかどうかは判らないが、訓練中の学習は俺にとっては「超人的困難」だった。
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「差別」と「蛮行」
同期の訓練生は日本人と韓国人ばかりでなく、その他にも東南アジアや香港の出身者もいた。 1クラス15・6人位で、全部で8クラス位はあったと思う。 俺のクラスは日本人が約6割、残りは韓国人の2国籍だけで、男は俺ともう一人の日本人の2人だけだった。 他のクラスにはマレーシア人、シンガポール人、そして現地の香港人などがいた。 全体的に見れば日本人とマレーシア人が一番多かったように思う。

しかし少数ではあるが、訓練で脱落した者もいた。 日本人の女の子の一人はホームシックにかかり、訓練を途中で投げ出し、日本に帰ってしまったとか。 後は避難訓練で落ちた者。

それと中華系シンガポール人だったと思うが、この男は真夜中に日本人女子の部屋のドアを叩いたり、夜中に彼女の部屋の前で叫んだりする等の狂行におよび、訓練から追放された。

日本人女子はなぜか、このような特に中華系男の「蛮行」のターゲットになり易い。 これは日本人女子が一般的に「友好的」であるのを、彼らの勝手な思い込みで「好意」と受け止められているのが直接的な原因だろう。

しかし根本的原因は華僑の日本に対する「屈折した」考え方にあると思う。 要するに「差別」と「恨み」だ。 彼らの日本に対する「嫉妬」は、日本人の認識をはるかに超える。 この事についても後で詳しく述べる。

訓練終了
入社後初めての訓練が終わり、俺はやっとの事で約2ヶ月の全ての訓練を終えた。 ICAOカードを取得し、「飛ぶ」準備もできた。 このような訓練を受けている間にも、香港在住を証明するための身分証明書(Hong Kong ID)を取得したり、住む場所を探したり、などの諸手続きを進めていかねばならない。

訓練中は九龍半島は油麻地(ヤウマーテー)のYMCAホテルに滞在し、朝食と夕食は通常、近くにある中華料理店で喰った。 昼食はこの航空会社内のカフェテリアか啓徳空港(カイタク空港)近くのレストランだ。

肉・野菜・飲茶(ヤムチャ)・粥(かゆ)・麺…香港料理はどこで何を喰っても恐ろしくマズかった。 「何千年も掛けて洗練された中華料理が、このザマか…」と失望したが、単に俺の口に合わなかっただけなのだろう。 中には香港料理が好きな日本人CAもいたようだ。

半年ほど頑張って香港料理を食べたが、そのうち本当に気持ちが悪くなった。 暇さえあれば香港内で何とか「喰える」料理店を探した。 その結果、居酒屋・寿司・ラーメン屋などの日本料理やタイヤマレーシアなどの東南アジア料理店、そしてファストフードにしか行かなくなった。 ケンタッキーフライドチキンとマクドナルドが一番多かったと思う。

また「黄埔花園」(ワンポア・ガーデン)という、マンションの密集地に住むことになった。 家賃が30万円ほどという、目が飛び出るような高値だ。 とはいっても会社が90%近く負担してくれるので、俺は払うのは3万円程。 俺の地元熊本に、家賃月30万円のマンションがあるかどうかも知らないが、もし存在するとすれば最高級豪華マンションだろう。 しかし、香港では2LDKの何の変哲もないマンションだ。

香港は極端な人口過密地帯だ。 しかし、いくら過密していても、家賃30万円というのは高過ぎる。 恐らく、大家は「家賃9割は会社持ち」ということでフッ掛けてきたのだろう。 しかし、他のマンションを探すのは面倒だし、会社が払うので、時間も掛けずにこの家賃30万に住むことにした。

また、この訓練の間、当時日本に居た恋人から頻繁に手紙が来た。 結局は破局に至ったが、当時の俺は、責任の大半は彼女にあると思っていた。 しかしやはり今考えてみれば、責任の殆んどはワガママな俺にあったのだと思う。

彼女は俺に会いに何度か香港に来てくれたり、一緒にフィリピンに旅行に行ったこともあったが、さして何も特別な事をしてあげることができなかった。 今は彼女に感謝し、幸せを祈るだけだ。



出吉!





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