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Jose

2006年08月16日

僕が客室乗務員だったときの話 【第5章全文】香港ってどんな所

第5章全文

香港の略歴


ここで、少し香港のことを紹介する。 テレビにもでてくるように、中国語の看板とともに高層ビルが立ち並ぶ。 清潔感は全くないが、様々な面で近代的だ。 カード一枚で何でもできる、といった利便性を備え、株式会社設立もほぼ無償でできる。 日本人でもたくさんのダミー会社を香港に作っているという。 利便性と合理性のみを追求する、自由貿易と自由金融の都市だ。

しかし歴史や伝統、安全、環境そして人体の犠牲を全く省みない開発は、大きなデメリットでもある。 馬鹿デカいビルが街中に乱立し、空気も汚染され、そのせいか肺癌になる者も多いという。 またこれは本当かどうか解らないが、ビルとビルとの間隔が余りに狭い為、視野が狭くなり、目が悪い者が多いとも聞いた。 (香港人には確かにメガネをかけている者が多いし、視界が広いモンゴルやアフリカなどの住民は目が良いとも聞く。)

しかし、日本が見習うべき点もある。 香港の地下鉄は発達し、必ずエレベーターやエスカレーターがある。 大東京ですらまだまだエスカレーターすらない所も多い。 みな若くて五体満足とは限らないし、赤ん坊をベビーカーに乗せた妊婦などは大変だろう。 エスカレーター位は各所全てにつけるのが、先進国として当然だ。

【香港の歴史  1】  英国領香港
当初、香港は昔の東京や横浜と同じで、人口7千人ほどの寂れた漁港だったらしい。 「香港」は文字通り「香る港」と書き、その名前の由来は幾つかあるようだ。 一有力説によると、昔、香港は腐った魚の汚臭が充満し、訪れた者が皮肉を込めて付けた名前が「香港」だということらしい。 実際、今でも全体的に汚い場所で、わずか数十年前までは疫病などが流行し易い場所だったらしい。 SARSなどを見ても、これは現在の中国にも言えることだろう。

ご存知の170年ほど前、「アヘン戦争」で清はイギリスに破れる。 香港の香港島はイギリスにより占領され、その後香港の九龍半島を租借、つまり「借りた」わけだ。 この「香港植民地」は当時のイギリスの女王ビクトリアに「献上」されたが、ビクトリア女王は「こんな不毛の地を私にくれるなんて! 変な所を献上するな!」と、あまり喜ばなかったらしい。 しかしこの時から、寂れた漁村香港が世界の舞台に踊り出、中華圏一大主要都市への変貌が始まる。

イギリスが香港において一番力を入れたのは「経済」で、現地人の教育は二の次だった。 そのため、経済だけは飛躍的に発展し、雇用を求める周辺地域からの移民が激増した。 現在の香港の人口は700万人ほど。 当初の人口の1千倍だ。 しかし、イギリスは現地人のための学校等を作るようなことをせず、昔の日本でいう「寺小屋」のようなものが香港各地にでき、そこで中国人による中国人の為の教育が行われた。

当然、教育は現地の「広東語」で行われたため、英語教育は皆無だった。 香港は100年以上もイギリス植民地であったにもかかわらず、英語があまり通用しない原因はそこにある。 今でも香港では限られた人間しか流暢な英語が話せない。 俺は香港に行く前は、てっきりみんな英語が話せるものだと思い込んでいたが、実際は多少の広東語が解らないとタクシーで自宅に戻ることにすらできないし、散髪すらできない。

しかし、ここは香港。 中途半端に英語が解る者なら多少はいる。 香港という場所が好きになれなかったのと、中途半端に英語が通じることで、3年間の香港の滞在にもかかわらず、俺はとうとう最後まで広東語を修得ことができなかった。 しかし何はともあれ「郷に入っては郷に従え」だ。 もっと頑張って広東語を勉強すれば良かったと思う。

【香港の歴史  2】  日本軍占領と余波
大東亜戦争(太平洋戦争)が始まり、日本は真珠湾攻撃と共に香港を攻撃、占領する。 香港にもイギリス海軍の基地があったので、そこを抑えるためだ。 香港占領はたった3週間ほどで遂行したらしい。 「猛烈な反抗があった」という記述もあるが、実際に香港攻略に参加した人から聞いた話によると、実際にはイギリス軍は日本軍の勇猛さに驚き怯えるばかりで、たいした反撃もできず、すぐに降伏してしまったとのこと。 戦闘らしい戦闘はほとんどなく、とても楽だったとのことだ。

現地の中国人も、「日本」というアジア一国の強さとイギリス軍の不甲斐なさに驚いたらしい。 戦争が終わった時、現地の日本軍はほぼ無傷で、日本の降伏に納得行かなかった。 しかし「天皇陛下の命令」ということで武装解除し、日本に帰ってきた。

建前は「戦勝国」のイギリスだが、ほとんどの諸戦闘では日本の勝利だった。 これはインドネシアを植民地にしていたオランダや、インドシナ半島を保有していたフランスなども同じ。 マラリアなどで倒れた日本兵は多かったが、大陸やインドシナ等の至る所にはまだまだ戦える日本兵が何万もいたので、ヨーロッパ軍は戦後しばらくの間も戻って来られなかった。 日本がヨーロッパ諸国の自信を根こそぎモギ取ってしまったのだ。 これらの国々が「戦勝国」や「常任理事国」を名乗れるのも、全てはアメリカからの「おこぼれ」だ。

逆にアジア人は勇猛な日本人を見て自信を得た。 「同じアジア人の日本人があれほど強かったのだから、自分達も独立できないわけがない」と、独立運動が盛んになり、その動きはアフリカのイギリス植民地にも波及した。 そして世界中のヨーロッパ植民地は独立を始めた。 一時は日本が占領した英領インド、マレーシア、ビルマ等も独立を勝ち取った。 イギリスは香港も手放したいと考え始めた。 イギリスはもはや自分達が大国ではなく、ヨーロッパの単なる一国にしか過ぎないことを自覚したのだ。

香港が中国に返還されたことで、イギリスを始めとするヨーロッパ諸国は世界中の植民地をほぼ全て失ってしまった。 「俺達が小国に成り下がったのも、全ては日本のせいだ。 日本さえなければ、今でも世界中を支配していたはずだ」と未だに根に持つヨーロッパ人も多いというし、俺もイギリス人やオランダ人に直接言われたことがある。 かつては地球上の陸地の80%を支配していた欧米人。 さぞかし残念だったのだろう。

【香港の歴史  3】  香港人「大脱出」
ところが香港人はこの「母国」への返還を喜ばなかった。 1984年、香港が中国に返還されることが決まり、多くの香港人が雪崩れを打ったように海外へと移住を始めた。 共産党国家「中華人民共和国」の領土になり、自由が奪われることを恐れたためだ。

その5年後の1989年、自分達の将来の運命を見るかのように、「天安門事件」が起きる。 「天安門事件」とは北京で行われた民主化運動のデモ隊に、人民解放軍10万が包囲し、容赦なく一斉射撃、惨殺した事件だ。 死体は山奥で焼き捨てられ、未だに遺族の元には返されていない。

民主化運動で彼等が求めていたのは「選挙権」など、日本や欧米では「空気」のようなものだ。 しかし中国では選挙は「クーデター」のようなもの。 選挙をやってしまえば、現在の中国共産党は消滅する。 今でも選挙権がない。 「天安門事件」で萎縮してしまった中国人は、少なくとも大都市では民主化デモを行えない。 (しかし2005年だけで1年間に全国で農民暴動が8万件近く起きている、という中国政府の統計もあるくらいだから、農民のいる地方ではデモは多いようだ。)

ともあれ香港人にとっては悪夢だった。 こんな国に「返還」されるのか… オーストラリア、カナダ等の同じ英国連邦で、比較的国籍取得が容易な国に移住する者、または一度それらの国籍を取り、香港に戻ってくる者が増加した。 キャセイのCAを含め、俺の知っている香港人の多くは「外国籍」、もしくは海外に親戚がいる。 みんな「逃げ場」が欲しいのだ。

日本のような自由主義社会では「国家」の定義が曖昧だ。 「国家」とはなんだ?と聞かれて、まともな回答ができる者は少ない。 自由主義社会では、「国家」とは内閣や政府であったり、官庁であったりする。 選挙の度に「国家」が変わる、とも言える。

しかし国民にとって大事なのは「政府」などではなく、自分達の住む国土、自由、権利、財産、そして同胞なのだ。 それらを脅かす者は例え「国家」であっても許されない。 だからこそ、「国家」を批判し、反抗する。 そして選挙で戦い、国家を「転覆」し、新しいリーダーを選ぶ。

一方で、中国のような国では「国家」の定義は極めて明確だ。 「国家」とは「中国共産党」。 国土や同胞、自由や権利などは二の次だ。 彼らにとっての「国家=共産党」とは「権力」であり、「利権」であり、「命」だ。 だから「国家」を選挙で「転覆」するなどはもっての外なのだ。

中国のような国で選挙権を要求するなどは、反乱を起こしているのと同じ事なのだ。 だから「共産党」に歯向かう者は「死」という代償を払わなければならない。

民主化運動が起きて中国政府が弾圧する度に、自由主義諸国は非難するが、中国政府の回答はいつも決まっている。

「反乱者には毅然とした対応をとる。」

【香港の歴史  4】  「中国の新植民地」
俺が香港に移住して2ヵ月後の1997年7月1日、英国植民地香港は中国に返還された。 香港人の不安は的中した。 派手な式典が行われていた返還日に、香港議会は強制解体させられた。

代わりに中国政府は周到に準備していた「暫定議会」なるものを立て、新たな選挙制度なども作った。 選挙制度がない国が他所の選挙制度を作るなど笑い話のようだが、こんなことを恥ずかしげもなく出来るのが中国という国だ。

香港全土に中華人民共和国の「赤旗」がひらめき、毛沢東や周恩来を賛美する書物が大量に書店に置かれるようになった。 言論やデモは弾圧され、香港に逃亡していた中国人の民主化活動家も逮捕され始めた。 また、中国に批判的な香港人議員の中国への入国を拒否された。 香港の多くの団体は一転して共産党に媚び始め、事あるごとに「親共産派」をアピールし始めた。

日本では政治団体が国家を非難したり、反抗したりすることはあっても、国家に媚を売るようなことは決してしない。 しかし香港は中国の新たな「植民地」だ。 これから何が起きるか判らない恐怖の中では、「植民国」の機嫌をとるしかないのだ。

もちろん、表面的には香港の街の活気は以前と変わっていないらしく、日本人の観光客が香港に行っても、さして何の変化も感じないだろう。 ただ、海外移住を逃した香港人の落胆は大きい。

以前の赤の「イギリス植民地パスポート」から、紺色の「中華人民共和国パスポート」に切り替えた香港人CAの落胆ぶりをみると、本当に気の毒だった。 「もう逃げられない」と話す香港人。 確固とした「国」を持つ俺達日本人には想像し難い。 何事もなかったかのように、香港でショッピングを楽しむ日本人を見ると、「日本人は幸せだなぁ」とつくづく思った。





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