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Jose

2006年08月17日

僕が客室乗務員だったときの話 【第4章全文】採用試験

第4章全文

採用試験

どんな人が採用される?
CAの倍率は確かに高い。 日本では50倍〜150倍とも言われるし、発展途上国などでは200倍・300倍以上とも言われる。 倍率だけで言えば、司法試験や外交官試験にも劣らないだろう。 しかし、ベストの人間が採用されるわけではない。 企業風土、つまりその企業の特色や雰囲気などに合致しなければダメだ。

いくら美しく、頭もよく、礼儀正しく、語学ができ、そしてサービス精神が旺盛でも、面接官のお眼鏡にかなわなければいけない。 逆に言えば、面接官に気に入られさえすれば、英会話は下手クソでも、バカでも、ブスでも、礼儀など知らなくても、合格する時は合格する。 ちなみにCAでも英語が下手クソな連中は掃いて捨てるほどいるし、「日本がどこにあるか」とか、地図を見てもアジア諸国の名前すら知らない、といった一般常識すら持ち合わせない奴もいる。 ようするに「客室乗務員」になるためには勉強など必要なく、クジ運のようなものだと思う。

また、「スチュワーデス学校に通った」という女にもこの航空会社では会ったことはない。 スチュワーデス学校では英会話やマナー、面接のコツなど教えるらしいが、俺から見たらそんなものは全然役に立たない。 なぜ役に立たないのか… 航空会社は企業であり、企業は生き残らなくてはならない。 生き残るためには自分達の欲しい人材が必要なわけで、単に型どおりの面接方法を知っていても、企業の生き残りには役に立たないからだ。 会話やマナーも20歳位にもなって学校で教わっているようでは手遅れだ。 こういった事は子供の時に家庭や学校で基礎を作るものだ。

同じ高い授業料を払うなら、看護学校や医科大学卒の方が、航空会社では重宝されるかもしれない。 CAの訓練で一番大事なのは避難訓練や応急処置だ。 乗客に妖艶な笑みを浮かべるのばかりがCAの仕事ではない。

ただ、最近はスチュワーデス学校も様変わりし、英会話や面接だけでなく、現実的な訓練を行う学校もあるという風に聞く。 スチュワーデス学校も企業なので、生き残りが掛かっているのだろう。
面接.png

航空会社の初面接
この航空会社への書類考査にマグレ当たりしたあと、2ヶ月後の9月5日、面接が行われた。 9月5日は妹の誕生日なので、この日時だけはハッキリ憶えている。 事前にどのような試験が出るかは伝えられなかったし、その後の試験も全てそうだった。 試験会場で始めて知る形だ。

会場は大阪城近くにあるホテル・ニューオータニだった。 土木作業員の汗と泥にまみれた臭い「タコ部屋」宿舎を出発したあと、何度か乗り継ぎ、JR「大阪城公園」駅で降りた。

ロビーに入ると甘い香りがする何百人もの綺麗な女性達がいた。 中国の古典小説「金瓶梅」の世界か、それとも涼しく清潔な若い女達の爽やかさか… 毎日泥だらけの仕事で、もう何ヶ月も若い女と話をしたことがない。 しかも何だ、この眩むようなイイ香りは…

「しまった! 俺は場所を間違えたか?!」

とこの航空会社の面接案内書の日時と場所を繰り返し確認した。 また、ホテルのフロント係に興奮を隠しながらこの航空会社の面接会場であることを最終的に確認した。

会場に入り、勇気を出して辺りを見渡すと、男もまぁまぁの数でいたし、美人ばかりでもないようだ。 俺の前に座っていた男と少し話したが、その男は「僕、少し太ってるんですよー」と不安げだった。 その男と話していると、徐々に場の雰囲気に慣れてきた。 しかしその男は結果的には不合格だったのだろう。 二度と会うことはなかった。

書類考査が一回目の試験とするなら、大阪で始まった試験は2回目の試験となる。 第2次試験は英会話面接、簡単な視力検査、そして身長・体重検査だった。 これら3つとも一つの広い部屋で行われた。 部屋にはたくさんのテーブルが置かれ、面接はそれぞれテーブルに志願者と面接官が座り、一対一で行われた。 俺が面接を受けている時も、他の大勢の志願者が周りで同様に面接を受けている形だ。

俺は視力検査を先に受けたが、これは冗談みたいなものだった。 ド近眼の俺でも見えるようなデカイ “c” が1枚か2枚壁に貼ってあり、「どっちに向いてるか?」ということで、これはパスだった。 身長・体重もOK。

俺の面接官は東南アジア系の女性で風貌や訛からしておそらく30代のフィリピン人。 紺の制服を着ていた。 入社後に知ったことだが、この紺の制服はシニアパーサーの制服だった。 シニアパーサーとは、CAの中では上から数えてチーフパーサーの次、つまり2番目に「偉い」人だ。

彼女は俺の履歴書を見ながら、「どうしてメキシコに行ったの?」と聞いてきた。 「スペイン語を勉強するため」とか「メキシコの文化に興味があったから」等が模範解答だろうが、俺は「恋人がいたから、大学辞めて、メキシコに行きました」と答えた。 面接官は「ふふふ、正直な人ね!」と、それこそ妖艶な笑みを浮かべていた。
メキシコ.jpg
面接は終わり、良い感触を得た。 合格したかも判らなかったが、前述の通り、面接の翌日にはドカタを辞め、刑期を終えたかのように、「タコ部屋」宿舎をあとにした。 そしてJR大阪駅(梅田駅)の隣、天満橋にある行きつけのカクテルバーで働き始めた。

赤のスーツ
毎回、俺は「吊るし」の2・3千円の同じ安物スーツに通天閣で買った300円ネクタイを着用していたが、面接会場には高そうな赤のスーツを着た志願者が多かった。 この航空会社の一般スチュワーデスの制服は赤、だと知ってのことであろう。 俺がこの航空会社の制服が赤だと知ったのは入社後だった。

このように俺が入社後に知った事でも、志願者の多くは試験を受ける前から知っていたのだ。 彼女達の並々ならぬ意気込みが感じられたが、正直、航空会社の面接官はそんなものを見ても何も感じないだろう。 逆に赤の綺麗なスーツを着ていれば、面接官に「私はこの航空会社のことをよく知ってますよ!」と言わんばかりだ。 逆効果かも知れない。

また、面接官の殆どは女で、現役、または元CAがやっている。 スチュワーデス同士の嫉妬は激しい。 気取ってそうな女や知ったかブリをする女はハネられるだろう。 事実、最終面接に残った女性達には赤のスーツを着た女は一人もいなかったし、殆どが地味なスーツを着ていて、気取ってそうな女は少なかった。

第3次考査
2週間ほどして合格通知があった。 一番初めの書類考査を入れれば、次回の考査は3次考査ということになる。 次の考査も確かホテルニューオータニだったと思う。 少しずつ合格への兆しが見えたような気がしたが、期待がデカイとダメだった時のショックも大きいので、自制するように心掛けた。 次の考査は2週間後だが、どんな試験がでるか皆目検討もつかない。

考査当日、会場に行くと前回より随分人数が少なく見えた。 会場では、同じ九州だが、福岡は北九州出身の背の高い女性と少し話をした。 彼女は航空会社にチャレンジするのはこれで7年目だという。 彼女は今回、赤のスーツで「キメて」いた。 前の日に新幹線でやって来たらしい。

今回は良くも悪くも服装は関係なく、純粋な英語力の試験だった。 実用英検みたいな試験で、たしか30問位あったと思う。 全部選択問題だった。 これはシメた、と思った。 英語力なら平均的な日本人には負けない。 実際、テスト内容も「これは間違える者はいないだろう」と思うほどとても簡単だった。

合格発表は試験の2時間後位にあった。 俺は合格したが、福岡出身の女性は落ちていた。 酷く落ち込んでいたようだが、合格した俺は掛ける言葉もない。 「まぁ、次もあるよ」などと無責任な慰めの言葉を掛けた後、俺はすぐにその場を後にした。 気の毒には思ったが、7年間もよくこんな試験を受けてられるナァ、とその時初めて思った。

俺はセッカチなので同じ試験を2度も受けたことがない。 全て一発勝負で、ダメならすぐに諦める。 俺の人生観では、人生は短く、同じ様な試験を2度も3度も受けている暇はない。 そして1年という時間は短くも、非常に有効に過ごせるので、大学でも職場でも「浪人する」など考えられない。

今回の英語の試験には合格したものの、まだ試験は続くし、いつ終わるかも判らない。 「次の試験ではダメかもしれない。」 突然、次の仕事を探したい衝動に駆られた。 求人雑誌を買ってラーメン屋で読み、数社に面接も申込んだが、結局全部キャンセルした。

第4次・5次考査
次の考査は1ヵ月後、とあった。 パスポートを持ってくるように、と指示され、俺の心は躍った。 ついに合格か? しかしその期待もできるだけ自制して、会場に向かった。 場所は確かロイヤルホテル、という所だったと思う。

今回の考査も英語での面接だった。 今回は小さな部屋で、完全に個別で行われた。 面接官は3人の外国人。 1人は東南アジア系の女性、もう1人は中国系の女性、そして1人はイギリス訛りの西洋男だった。 一番初めに質問を始めたのは西洋人の男。 質問は “What do you want to talk about?” だったと思う。 つまり、「何を話したいの?」ということだ。 意外な質問に俺は一瞬うろたえたが、瞬時に気を取り直して、「この航空会社の為にできる事」など、口から出マカセをいった。 口八丁、手八丁。 これこそが俺の最も得意とする分野だ。 相手は満足気に頷いていた。

次に「コーヒーをいれる真似をしてくれ」というから、それをやった。 その後、俺の経歴やこの航空会社に入りたい理由などを聞いてきたと思う。 面接試験は段々和やかな談笑に変わってきた。 しばらくしたら面接官の一人が、「もう試験時間を随分過ぎたから、今日はこの辺で終わりにしましょうか?」と、気を取り直した表情になった。 この表情を見て、俺は一瞬緊張したが、「いやー、今日はどうも有り難うございました」と笑顔を絶やさず去っていった。 ちょっと喋りすぎたか?!
コーヒー.png
*************************

その後、廊下においてある、病院のベンチのような所に座って待つように指示された。 そこには8人ほど、さっきの面接を終えた女性志願者がいた。 何人かは長い時間待っていたようで、退屈そうにしていたが、残りの志願者達は小声だが和やかに話をしていた。

その中の一人も7年程連続で受け続けたらしく、去年もこの面接段階で落とされたという(7年間浪人、ここにもいたか…) つまり、「パスポートを持って来い」と言われても、油断することはできない、ということだ。 俺達はそれを聞き、一層緊張した。

その後、面接官らしい人がでてきて、4人ほど名前を呼んだ。 俺の名前は呼ばれなかった。 一瞬、呼ばれた女の子達に笑顔が浮かんだように見えた。 そして「今、名前を呼ばれた方はロビーの方に来てください」といったと思う。 しかし次の言葉が彼女達を裏切ることになる。

「残りの方は、パスポートを持ってこちらの部屋にどうぞ。」

「勝ったのは俺達の方だ!」 俺達は胸を躍らせパスポートを持ってその部屋に入った。 「ロビー組」の人達とはそれから2度と会ったことがないし、「7年浪人」の女性とも会ったことがない。 パスポートを持って、部屋に入ると、そこには面接官らしい人達が座っていた。 そう、また面接なのだ! 

今度は日本語での面接だ。 「英語がお得意なようですが、日本語は大丈夫ですか?」と尋ねられ、その後小さな本を渡され、書いてあった数行の日本語文を読むように指示された。 読み終わると、今度はなぜこの航空会社を選んだのか聞かれた。 何と答えたかは憶えていないが、ここも俺の得意の口八丁で乗り切った。

隣にもう一人志願者がいて、彼女は「この航空会社はアジア線が多いので、アジアが好きな私は…」等と答えていた。 俺はこの時初めて、この航空会社はアジア線が多い事を知ったのだ! 当時はアジアなどには全く興味がなかったし、俺にとってはこの航空会社がどこに飛ぼうと、そんな事はどうでもよかった。 女に囲まれ、ただで旅行ができて、カネを貰えれば。

パスポートを見せて、発行場所などを聞かれた。 そして香港の入管書類らしきものを幾つか記入したと思う。 ヤッター! 俺は合格か! しかし、この後投げられた言葉に、またもショックを受けた。

「明日は病院で検査を受けてください。」

渡された紙には「視力検査」も記されていた。 俺もとうとう終わりか…

健康診断…最後の難関
健康診断は今までの考査の中で一番緊張した。 病院での「視力検査」… いくら処世術に長けていても、ド近眼ではもうゴマカシは効かない。 もはや、これまでか… 名前は忘れたが、大阪市内の総合病院だった。 病院内の指定された場所に行くと、綺麗な女性達が4・5人座っていた。 皆この航空会社の志願者で、俺の心は躍った。 「こんな美人がいるのか…」

しかし、こういうのも全て合格してからの話だ。 その中の1人も「私、近眼やから…」と緊張していた。 すると俺達の座っている場所から、視力検査表が見えるではないか! なんという幸運だろう。

俺達はその視力検査表の文字を上から下まで暗記した。 病院の「ずさんさ」が功を成した。 そして、視力検査が始まったが、案の定、一番上の文字さえ見えなかった。 しかしある程度暗記していたので、「良い所」まで行った。 たぶん、両目とも0.5位はいったと思う。

その後、上半身を脱いでの心拍音の検査があった。 俺の前にはさっきの美人の一人がいて、出てくるなり俺に「私、どこか悪いんかなぁ… 先生がずっと私の胸に手を当ててはったから…」などと不可解そうだった。 この医者は男だが、俺の検査の時は1・2秒で終わった。 このスケベ野郎め! 職権を濫用して、セクハラ行為におよぶ医者はアメリカには多かったが、日本も例外ではないらしい。

ともあれ、健康診断は終わったが、この健康診断で会った4人位の女性のうち、2人しか会社で会わなかった。 その中の1人の話によると、彼女達は残り2人と電話番号を交換し、その後連絡を取ったが、不合格だったらしい。 健康診断で落ちる人もいるのだ、と驚いた。 11月。 これで全ての日本国内での審査が終わった。

しばしの帰郷
その後、序章にあるように合格通知を受け取り、俺はしばらくの間、故郷熊本に戻ることにした。 残る4・5ヶ月を両親と過ごしたかったからだ、と言えば綺麗事になる。

本当は家賃もいつも期限ギリギリで払い、以前メキシコに住んでいた時とさほど変わらないサバイバルの生活にうんざりしてたからだ。 それに職場やプライベートでの酒の飲み過ぎや夜更かし等の不摂生で、体の具合が悪かったので、体調を整えたいのもあった。 いつも下痢ばかりし、頭痛も頻繁に起きていたからだ。

熊本に戻ると、CA試験に合格したことで、当初は家族も歓迎してくれた。 親父の所に居候していたが、しばらくすると愚痴も増えてくる。 祖母が「時間ば無駄にせんごて、アルバイトどんしたらどぎゃんね?」(時間を無駄にしないように、アルバイトでもしたらどうなの?)と毎日のようにせっついてくるので、しばらく引越屋でバイトをした。 

親父は俺に「現場職の人間はプライドが高かケン、航空会社にひゃーるこつとかば、あんま人に言うなよ。 嫉妬すっけんね」(現場職の人間はプライドが高いから、航空会社に入る事とかをあんまり人に言うなよ。 嫉妬するからな)という。 俺は思うのだが、仕事にプライドを持っている人間は、他人の仕事に嫉妬しないものだ。 他人の仕事や学歴に嫉妬する、というのは劣等感の現われだ。

俺はそれまで仕事にプライドなど持ったことはなかった。 しかし根拠はないにしろ、人間としてのプライドは高かったので、他人の職業や学歴に嫉妬したこともなかった。 それでも親父の意図する所は理解できたので、引越屋では航空会社就職についてはおくびにも出さなかった。 そして翌年5月、この航空会社から送られてきた香港行きのチケットをもって、香港へと飛んだ。







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