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Jose

2006年08月18日

僕が客室乗務員だったときの話 【第3章全文】日本での困惑

第3章全文

「何、この航空会社?」


メキシコからの浦島太郎
機内食をガツガツ5杯位お代わりをし、少し寝たところで成田に到着。 先ず成田に着いてビックリしたのが、日本人の空港職員が美人でサービスが良いことだ。 「俺に気があるのか?」と思うくらいのサービスだ。 アメリカやメキシコでは見た事がなかったし、その後俺が見た世界各国の空港でも見たことがない。 後でこれが日本人の平均的なサービスだと知ったのだが、日本に来る外国人観光客などは勘違いするだろう。

外国人観光客は日本に来て、このような極上サービスを受けると、「日本の女は俺のことを好きなのか」と勘違いするが、しばらくすると日本人の皆が皆、こんなに好意的でも、友好的でもないことを知る。 そのギャップが大きくて、日本に居る外国人は「日本人は本音と建前を使い分ける」などと愚痴を言うようになる。

「本音と建前を使い分ける」のは万国共通だ。 外国人が日本の愚痴を叩き始めるのは、彼らの勝手な思い込みと勘違いから始まっている、と俺は思う。 こんな連中が駐日特派員だったりして、自分達の英字新聞に日本の悪口ばかり書き立てるのだから、たまったものではない。 彼等が日本に長く住みながら、日本社会に溶け込めないのは、彼等の自身の責任が一番大きいのだ。

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成田から福岡の空港に着くと、待っているはずのお袋はそこには居なかった。 しばらくアイスクリームでも食べながら待っておこう、と思い、ポケットにある全財産50円を出したが、一番安いアイスクリームでも100円+消費税だった。 アイスクリーム50円の時代はとうの昔に終わっていたのだ。 俺は完全な浦島太郎だった。 安く値切ろうとしたが、ここは日本。 アイスクリームの値段を値切れるわけがない。 しばらくするとお袋が嬉しそうに笑顔でやって来た。 メシを腹一杯喰いたい、といい、博多駅地下のレストランでたくさん注文したが、全部喰えない。 腹は減ったが、メキシコで胃が小さくなっていたようだ。 その後、電車に乗り、熊本についた。

弟と妹、そして弟の奥さんと会った。 弟は結婚していたのだ。 しかし俺は好き勝手に生きる自分の生き方が気に入っていたので、弟の結婚を羨ましいとも思わなかった。 そのずっと後、俺も結婚したが、その時初めて結婚した弟の気持ちが理解できたと思う。

日本人の特色1
親父とお袋はお互いに愛想尽かしたらしく、離婚していた。 俺はお袋の住むアパートに居候して、ホステスクラブや田舎の観光ホテルで仕事をしたが、両方とも長続きしなかった。 アメリカやメキシコで暮らしていた俺には、日本社会にはユーモアがなく、ルールの多い、硬直した「生き地獄」に見えた。 毎日息が詰まるようだった。

前述のように外国人は筋違いの不満が多い。 しかし確かに日本人には多くの諸外国とは違った特色もある。 それは日本人の「迷惑を掛けられる」ことを極端に嫌うという特色だ。

一昔前の話になるが、日本人3人がイラク地元武装グループに拉致された時、3人の家族がテレビで涙ながらに日本人に訴えかけた時があった。 その時の日本人の反応はどうだったか? 多くの日本人は嫌悪感を持ち、一部は脅迫状を送ったり、嫌がらせの電話を掛けたりした。 同じ様な事件がイタリア人や韓国人、イギリス人等にも起きて、被拉致者の家族もテレビの前で泣き叫んだ時、それらの国々の国民は同情的で、嫌がらせをする者は皆無だった。 多くの国々は日本人の反応に驚いたのだ。

「他人に迷惑を掛けない」という日本人の幼い頃から施されてきた「美徳」は、社会を円滑に動かすことが多い。 ただ、「自分の都合に基づいて主張する者を嫌う」という面もあり、その主張の正当性や普遍性に関わらず、日本人は本能的に「迷惑を掛けられた」と嫌悪感を抱くのだ。

例えば「賃金を上げろ!」とか「労働条件を改善しろ!」と労働組合等は主張する。 しかし多くの日本人には「個人の都合に基づく主張」とみなされ、支持されない。

また、北朝鮮拉致問題の横田さん達の活動は30年近くにも及ぶが、初めは全く支持されなかった。 北朝鮮からミサイルが飛んで来た時、日本人は初めて「外国から迷惑を掛けられた」と感じ、それを察した少数の支持者達が大々的な運動を繰り広げ、やっと北朝鮮拉致問題は国民的な支持を得ることができるようになったのだ。
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「やっぱ、日本には住めない…」
俺は「自分の都合に基づいて主張する」のが社会の基本構造である西洋社会に住んでいたので、俺の雰囲気や言動に嫌悪感を抱く者も多かったようだ。 また、俺の経歴や履歴書を見ても信じないものは多く、仮に採用されかけたとしても、よく「変な奴だなぁ…」などと嫌味を言われた。

「アメリカとメキシコに住んだことがある」なんて経歴の持ち主はメキシコやアメリカには掃いて捨てるほどいる。 俺のような経歴の持ち主は俺の日本人の友人でも珍しくない。 俺にしてみれば「日本の高校・日本の大学・日本で就職・ずっと日本で暮らす」という経歴のほうがイメージし難かった。

以前、「アメリカ人は弱い者をイジメるが、日本人は変わり者をイジメる」なんて記述を読んだことがある。 全くその通りだと思った。 アメリカでもイジメはある。 強い者が神格化される国、勝てば何をしてもいい国。 敗者はクズ、弱者のことなんて構ってられない。 イジメの対象は身体障害者だって例外ではない。 俺の通ったオレゴンの高校でも身体障害者に対するイジメは酷かった。 聾唖者に対して唾を吐く奴や、知的障害者のズボンを下ろして尻の谷間に25セント硬貨をいれたりする奴… 全く珍しくない。 しかし障害者にも気の強い者だっている。 障害者だってアメリカ人。 戦わなければアメリカでは生きていけないことを本能的に知っている。 大声で抵抗したり、脅したりする。 するとその人物だけに限ってはもうイジメられることはない。

しかし「変わり者」だからといってイジメられることはない。 「うちはフランス系とアイルランド系移民の子孫、隣はドイツ系移民、向かいはアメリカ先住民とイギリス系」とみんな違った背景を持つ。 要するにそもそも自由を求めてやってきた人達の子孫であり、今でも移民はドンドンやって来ている。 皆「変わり者」なのだ。 それぞれ色んな雰囲気を持ち、それぞれが違うので「変な奴」などといってイジメられることはない。 また移民の子孫であることを生かし、2ヶ国語話せる者はそれを活かした仕事に就く。

日本ではちょっと「変わり者」がいると、「迷惑を掛けられた」と思い、機会を見ては「袋叩き」にしようとする。 「変わり者」といっても色々ある。 「雰囲気が日本人ぽくない者」「特殊な能力を持った者」「経歴が特殊な者」など、普通に日本に暮らしていては会わないような者と遭遇した時、1人ではできないので大勢で寄ってたかってイジめる。

以前の亀田興毅が世界チャンピオンになった時、素直に一緒に喜べば良いものを、前々から亀田興毅の態度が気に入らなかった約5万人のインターネットユーザーが放映したTBSに抗議の電話をかけたという。 ネット上ではあることないこと、誹謗中傷が飛び交った。

亀田興毅のような格闘家は全く珍しくない。 プロレス、K−1、PRIDEなど、試合前に対戦相手を「こいつをブッ殺します!」などと脅すのは、格闘技の余興のようなものだ。 19歳の若くて、強くて、女性に絶大な人気がある亀田興毅やその兄弟亀田大毅、亀田和毅。 彼らに嫉妬して難癖をつけているだけに過ぎない、と俺は感じた。

相手が外国人だと何もできないが、相手が日本人の場合にこの傾向が強い。 ボブ・サップなどの外国人が所構わず虚勢を張り、大暴れし、大口を叩いても「外国人だから、アメリカ人だから仕方ないかぁぁぁ」と何もできないし、何も言えないが、それが日本人だと許すことができない。 似た者ばかりが集まった場所に住んでいる者にとって、文化や外見が違う外国人にはビビって何もできないが、こういった「変わり者日本人」は絶好のイジめの対象なのだ。

田舎の観光ホテルで仕事をしていた時、スペイン人やアメリカ人の観光客が来ても俺を「裏庭の掃除をして来い」など、わざと遠ざけられたりした。 「語学だけできてもねぇ…」などとよく嫌味を言われたが、「それならお前は何ができる? 何か特技でもあるのか?」と言い返したくなった。 しかしそんなことを言うのはムダ。 日本人のメンタリティーの中に深く存在するものを俺1人で変えることは出来ない。 俺はどうして良いのか判らず、日本を去ることに決めたのだ。

アフリカにでも行こうか…
スペインはマドリッド行きの格安航空券を予約した。 その時は確か3月。 出発は4ヵ月後の7月に決めた。 スペインに行って、しばらく仕事でもしてカネを貯めて南に下り、ジブラルタル海峡を越えてアフリカに行き、モロッコかアルジェリアにでも行って傭兵にでもなろうか、と思っていた。 帰国する前は「憧れの国」日本。 「美しい国」日本。 「安全な国」日本。 しかし去ると腹をくくってからは、そんなことはどうでもよくなった。

「どうせ人生一度、傭兵にでもなって、稼いで、酒と女で遊んで、そしてパパパパーと戦場で死ねたらいいだろうなぁ… やっぱあの時メキシコでマフィアに入っておけば良かったかな… まぁいいやぁ、日本を出られれば…」

会い難かったが、「日本を去る前に」と親父とも一応会った。 親父とスナックで酒を飲みながら、色々話した。 堅物の親父が、こんな美人なオネェチャンのいる飲み屋に来るのだ、と少し驚いた。

親父は俺に警察官にならないかと言う。 最近はペルー人移民犯罪が多いので、スペイン語ができるなら仕事に就くのも簡単だろう、と。 俺は親父の言う事は聞きたくなかったし、第一、俺のスペイン語を「外国人を捕まえる」仕事に使いたくなかった。 当時スペイン語は友人を作るためにある、と思っていた。 今は考え方も変わり、「犯罪者は絶対に許せない」と思っているので、犯罪対策にでも何でも喜んで使っているだろうが。

「何、この航空会社?」
帰国後3ヶ月、スペイン行きチケットを申込んで1ヵ月後の4月頃、お袋が

「何かどっかの外国の航空会社が客室乗務員ていうのば募集しよるよ。 語学がでくるとだけん、申込んでみたら」

という。 お袋が知人から教えてもらったらしい。 新聞の切抜きを見せてもらったら、「○○○航空」とある。 聞いたこともない会社だ。

「詐欺訪問販売会社みたいな、怪しい名前だなぁ」と笑っていると、しかも本社のある赴任地は「香港」。 日本人から見たら「怪しい経歴」を持つ俺にはお似合いだ。 面白そうだと思ったが、採用条件に「視力良好」とある。 俺はド近眼なので、見た途端に無理だと思ったが、モノは試しに申込んでみようと思った。

当時の俺のイメージでは、客室乗務員、つまりスチュワーデスやスチュワードは洗練されたお嬢様・お坊ちゃまみたいな連中だけなるものだ、と思っていた。 しかし俺はルールぎりぎりに生きる「処世術」だけには少しばかり長けているつもりだった。

要するに手八丁・口八丁、資格も学歴もないが、ハッタリで10しかない自分を60くらいには見せる能力はあると思っていた。 もしかしたら合格するかもしれない。 スチュワードになったら、カネを貰って、世界に出ることができる。 スチュワーデスを始めとし、乗客の女性ともたくさん知り合えるかもしれない。 給料も良いだろう。

動機不純だし、99%は無理だろうが、一応身上書等は送り、書類考査に申込んだ。 その身上書もいい加減なモンで、自分の経歴を差しさわりのない程度に書いた後、「もしスチュワードになれなかったら、営業部にでも雇ってください」みたいな内容を書いた。

しかし、何と書類考査に合格。 これからの考査は東京と大阪のいずれかの2ヶ所で行われるという。 東京は「月並み」、どんな場所なのか大体想像できる。 だから「想像し難い」大阪を選んだ。 本屋に行った時の旅行ガイドブックの表紙に「魔の都-大阪」と書いてあったのが決め手だった!

今後の全ての考査は大阪であるだろう、と考えたので、大阪にしばらく住もうと決めた。 そしてスペイン行きのチケットはキャンセルした。 「試験ん時だけ、熊本から大阪さん行けばヨカろが」と、大阪に移り住むことに両親は反対した。 しかし「親父もお袋も、何か言うと反対ばかりする」と思っていた俺は全く耳を貸さず、船に乗って大阪に行った。
大阪

強盗計画?!  1
大阪府の工場の町八尾市という所で土木作業員の仕事を見つけた。 一応履歴書を書かされたが、学歴は熊本の中学校だけを書き、あとはプータローだったことにした。

そこの土木作業員は全員住み込みで、狭い廊下の両側には、細長ベッドが一つ入る程度の小部屋が連なっていた。 各部屋のドアは短く作られていて、上と下が30cmほど空いていた。 廊下には巨大エアコンがおいてあり、そこから轟音と共に出てくる冷風がドアの上下30cmの空間を通り、全部屋を冷やす仕組みだ。 俗にいう「タコ部屋」だ。

「ドカタ殺すにゃ刃物は要らん。 雨が3日も降ればえぇ」とは大阪でよく聞いた言葉だ。 しかし俺は「殺され」ても良いから、雨が降って欲しかった。 猛暑の下での重労働は死ぬほどキツかった。 しかし職場には50代、60代はザラにいた。 こういった肉体労働者は歳よりも老けて見える。 あの「老体」のどこにこんな体力が宿っているのか不思議だったが、長年の経験で体が慣れている、との事だった。

彼等はソープランドやパチンコの話はよくするが、自分のことは全く話さない。 他の人から聞いたところによると、彼等は借金から逃げたり、奥さんから逃げたりして、ここに行き着いたという。 また、刑務所からの出所者も多かった。 「ここにおんのは、みんな『ワケアリ』や。 要らんこと詮索せんことや。」

いい歳をした彼等は「ボケ! イテまうど!」と大声で怒鳴りあい、よく喧嘩をしていた。 女同士の髪の掴み合いとよく似ていた。 昔はヤクザだったのだろう。 ヨボヨボの老いた皮膚に、キャラメルの薄紙のように張り付いた刺青も、彼等の「負けの人生」を象徴しているかのようだった。

その職場では珍しく18歳位の男がいて、一緒に仕事をしているうちに親しくなった。 彼とは一日中「どうやったらカネ儲けができるか」という話ばかりをしていた。 カネ儲け、といっても真面目なカネ儲けではない。 犯罪的なカネ儲けだ。

強盗計画?!  2
銀行に押し入ろうか、タクシー強盗か、と色々話し合ったが、どれも成功しそうにない。 結局、現金輸送車を襲おう、と決まり、計画は俺が立てることになった。 カネを奪ったら、そのまま関空に行ってフィリピンへ逃亡するなどの概案を作ったりしたが、カネを奪えなければ「絵に描いた餅」だ。

大阪市内の銀行を色々見て、狭い路地に面する銀行に眼を付けた。 しかし、どれが現金輸送車かも判らないし、どの位の頻度で往来するのかも分らない。 一般人が見ても判らないような車種を使っているのだろう。 現金輸送車を狙うのは「内部の人間」か「元銀行員」が多いと聞いた事があったが、それも納得いった。

そうこうしている内に、この航空会社の初めての面接を受験した。 休みをとって、安物スーツに身を包み「タコ部屋」宿舎を出た。 周りのドカタのオジサン達は「おう、九州のあんちゃん。 お見合いでも行きよるんか?!」とからかった。

面接については後で詳しく述べる。 面接の翌日、一日だけ仕事をして、ドカタを辞めた。 それまで親しくしていた「強盗計画仲間」には、「じゃ、またな…」といい加減な「永遠の別れ」を告げ、逃げるようにその場を後にした。 もしこの航空会社の面接で上手くいかなかったら、当時の俺なら本当に強盗をやっていたかもしれない。 そう思うと今でも背筋が寒くなる。

JR大阪駅(梅田駅)の隣、天満橋にある行きつけのカクテルバーで仕事を始めた。 俺が客の時にオーナーママに以前から誘われていたからだ。 そのカクテルバーでは、ママに可愛がってもらったり、女性の顧客ができたり、と楽しい時間を過ごした。 親しくなった女性に俺の薄汚いアパートを掃除してもらったり、小遣いを貰ったりした。 「現金輸送車襲撃なんて、何てバカな事を考えていたんだ!」と愚かな自分を笑った。

「このまま、香港なんかに行くのを止めて、大阪にいようかな… まぁ、どうせスチュワードとかなれるわけないし…」

俺は大阪が一番好きだ。 日本で一番好き、というだけでない。 世界中の数え切れないほどの都市を訪れたが、大阪は世界で一番好きな都市だ。 大都市の中に、臭うような下町があり、人情があり、それでいて都会的。

東京の下町は観光客を意識しているのか、人工的で、観光用にできた感じがするが、大阪の下町は昔からある土着の下町、といった感じだ。 天王寺動物園周辺の青空カラオケ屋も好きだった。 残念ながら何年か前に強制撤去させられ、今は何もないツマラない通りになってしまったが。

在日韓国人や中国人も多く、浪速区・西成区・生野区・大正区は色んな文化が入り混じった巨大ドヤ街、といった感じだ。 俺はそのドヤ街の中のドヤ街、浪速区は新世界の恵比寿で暮らし始めた。 地元大阪人でも近づかない場所だが、俺にとっては故郷の一つになった。








僕が客室乗務員だったときの話 | Comment(2) | TrackBack(72) | 香港 ☀
この記事へのコメント
はじめまして。 どこの航空会社かはいえませんが、私は現役のCAです。

題名からして、初めは正直「どこにでもあるようなCAのブログなんだろなあー」と思っていました。 でも期待を裏切る面白さです。 男の人の世界ってこんななのかー、とドキドキします。 また藤原さんの少年時代は私の弟のようで、目に浮かぶようです。

実際のCAの活動の詳細がまだないのが少し気になるところですが、恐いもの見たさ半分でこれからも見てみようと思います。 どうかお手柔らかに!
Posted by よっちゃん at 2006年09月04日 00:57
弟さんは良いお姉さんを持って幸せですね!

男の世界というか、たぶん僕だけかもしれません。 色んな男がいますからね。

>恐いもの見たさ半分でこれからも見てみよ
>うと思います。 どうかお手柔らかに!
あぁ、えぇとぉぉ… 「手柔らか」になるかどうか判りませんが、事実を書いていこうと思います。 個人攻撃などはないと思います。
Posted by 藤原 at 2006年09月04日 12:30
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