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2006年08月27日

【第2章】スチュワードになる前の俺

第2章

スチュワードになる前の俺


かの有名なインド独立の父、ガンジーの自伝の冒頭には、興味深い記述がある。 ガンジーが自伝を書くと決めた時、彼の友人は「自伝を書くなんて、西洋人か『西洋かぶれの東洋人』がやる事だ」と止めることを勧めたという。

結果的にガンジーは自伝を書いたわけだが、俺は彼の友人の言葉を重く受け止め、自分の経歴を書くつもりはなかった。 したがって、当初は航空会社の入社試験や訓練等々の内情のみに絞って書くつもりだった。

しかし、俺という人間が全く何者かも判らないまま内情を書いてもあまり説得力がない。 俺自身の略歴も多少は書いた方が良いだろう、と最終的に判断した。

幼少時代
俺は熊本で生まれた。 育った地域は、熊本でも「ヤクザ」の人口密度が高い所として知られ、俺の行った中学校は今でも「不良の多い学校」として熊本では有名だ。

地域の雰囲気とは対照的に、幼少時の俺は気が弱く、体力も腕力もなく、オツムの方もちょっと弱い子供だった。 ランドセルを忘れたり、教師から親への手紙を紛失するのは当たり前で、先生にチョット叱られるとすぐに授業中でも泣いたり、同級生に上履きや文房具を隠されたりした。

7・8歳位まではロクに平仮名も読めず、数字も数えられず、階段も上がれなかった。 両手をついて階段を上がっていたらしい。 担任の教師は俺のことを「知能障害児」と考え、隣の小学校の「なかよし学級」(主に知的障害を抱える児童の学級)に編入するように、俺の親に勧めたらしい。

俺の親父はスポーツ万能、勉強万能、生徒会長、大学では奨学生、社会人になってからは宅建・行政書士という「優等生」だったらしいから、「長男が知恵遅れ」なんていうのは納得いかない。 毎日のように、嫌がる俺を近くの歩道橋に連れて行き、階段の上り下りを練習させ、メシの時間も算数の暗算ばかりさせられた。 答えられないとすぐ殴られた。

どうも優等生に「教え上手」はいないようだ。 理由は簡単、優等生は劣等生を理解できないからだ。 親父は昔「数学の教師になれる」と言っていたが、もしなっていたら「問題教師」になって、3面を飾っていただろう。 ただ、親父のスパルタ教育が効を成したのかは判らないが、成績もほんの多少は伸びたり、運動もほんの多少は出来るようになった。


戦吉!
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